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Channel: 古狸奈の「思い出映画館」
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忠臣蔵 桜花の巻・菊花の巻

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「忠臣蔵 桜花の巻・菊花の巻」1959・1・15 東映京都作品)
  脚本・比佐芳武 監督・松田定次

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  <配 役>
   大石内蔵助   …片岡千恵蔵

   浅野内匠頭   …中村錦之助

   岡野金右衛門  …大川 橋蔵

   岡島八十右衛門 …東千代之介

   お た か   …美空ひばり

   吉良上野介   …進藤英太郎

   堀部安兵衛   …大友柳太朗

   脇坂淡路守   …市川右太衛門

    (その他 東映オールスター)

 

ものがたり

元禄14年春、赤穂藩主浅野内匠頭は朝廷からの年賀答礼使接待役を命ぜられたが、諸式指南役の吉良上野介への贈答品が少なかったため、ことごとく意地悪い仕打ちをされるのだった。

 3月14日、ついに堪忍袋の緒が切れた内匠頭は松の廊下で刃傷に及び、家は断絶、身は切腹となり、田村邸でその生涯を閉じるのだった。
 報せが赤穂に飛び、藩論は二分、病床の橋本平左衛門は一同の奮起を促すため、腹を切り、主君の後を追ってしまう。
 城明け渡しの日、闇に浮かぶ天守閣に慟哭する内蔵助・・・(「桜花の巻」)

本心か偽りか、廓で遊興にふける大石内蔵助には常に監視の目が光っていた。身なりを変え、吉良邸を探る浪士たち。岡野金右衛門の許婚、おたかも仮祝言のあと、吉良邸に密偵として入ることとなる。

苦難の末、ついに討ち入りの日はやって来た・・・(「菊花の巻」)

 
元禄赤穂事件

 おなじみ『忠臣蔵』の映画化です。

 松の廊下で吉良上野介に刃傷に及び、切腹させられた浅野内匠頭の浪士、四十七士が吉良邸に討ち入った事件は「元禄赤穂事件」として後世に伝えられました。武家社会のショッキングな事件だっただけに、すぐ翌年には『曙曽我夜討』として上演されたものの3日で禁止。4年後の宝永3年(1706)10月、近松門左衛門作で浄瑠璃『碁盤太平記』が竹本座で上演されたのが、資料に残る最初とされています。

 その後、集大成として、寛延元年(1748)8月、2代目竹本出雲、三好松洛、並木千柳の合作で『仮名手本忠臣蔵』が人形浄瑠璃で上演されると評判を呼び、歌舞伎でも取り上げられ、現在に至っています。

 当時、同時代の武家社会の事件を上演することは禁止されていたため、『太平記』の時代に舞台を移し、内匠頭を塩谷判官、吉良上野介を高師直、大石内蔵助を大星由良助と名前を変え、上演されました。

 明治になってからは、実名が可能になり、多くの芝居や映画が製作されるようになりました。

『忠臣蔵』は事件の史実を扱った「本伝」、個々の浪士に焦点を当てた「義士銘々伝」、周辺のエピソードを取り上げた「外伝」に分かれ、浪士だけでも47人と数が多いだけに、題材に事欠かず、様々な作品が生まれています。事実、『忠臣蔵』を出せば当たる、と言われ、今でも12月になればどこかで『忠臣蔵』を題材にした作品が上映されるほどの人気狂言となっているのです。
 
黄金期の贅沢な作品

 1959年の正月作品として製作されたこの『忠臣蔵』は、東映時代劇黄金時代の中でも最も贅沢な作品といえるでしょう。

 配役はもとより東映オールスター。しかも、役それぞれが極め付きとでもいうべきキャスティング。片岡千恵蔵さんの大石内蔵助、錦之助さんの浅野内匠頭、大友柳太朗さんの堀部安兵衛、その父親の弥兵衛は薄田研二さん。橋蔵さんは四十七士の中でも一番の美男と伝えられている岡野金右衛門。進藤英太郎さんの吉良上野介はまったくもって憎っくき敵役です。

 映画は「桜花の巻」と「菊花の巻」の2部に分かれ、前半が事件の発端から内匠頭の切腹城明け渡しまで。後半がその後、吉良邸討ち入りまでの3時間構成。『忠臣蔵』の多くのエピソードの中でも一番知られている内容が取り上げられ、正統派といえる作品です。

内匠頭が刃傷に及ぶまでの経緯も、翌年の『赤穂浪士』では中村賀津雄さん扮する畳職人などが語り部となって物語が展開するのと違って、この作品では内匠頭に焦点を当てた形でじっくりと描かれています。吉良上野介のいやがらせに、怒りが爆発していく過程がじわじわと描き出され、観客も感情移入がしやすく、悲しみと同情を寄せることができる比佐脚本の真骨頂とでもいえる手馴れた構成となっています。

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美男だった岡野金右衛門
さて、橋蔵さん扮する岡野金右衛門(包秀 かねひで 1680―1703)は浪士の中で一番の美男子だったと伝えられています。内匠頭刃傷のときはまだ部屋住みでしたが、父親が血判書を提出後、病に倒れたため、代わりに浪士間の連絡を取るようになりました。父親の死後、金右衛門の名を継ぎ、本所相生町の前原伊助宗房の店に移ったことから、吉良邸の絵図面を大工の娘に盗ませ、本懐を遂げるためとはいえ、娘心を踏みにじる罪の意識に悩む逸話が生まれたようです。
実際は寺坂信行の筆記に「吉良邸図面は内縁を以って入手した」とあるそうで、吉良が移ってくる前の屋敷の主、松平信望の家臣に内蔵助の親族がいて、その者から得たというのが真相ではないか、ともいわれています。この作品では美空ひばりさん扮するおたかが密偵として、吉良邸に入り込み、金右衛門に密かに渡す形になっています。
岡野金右衛門は本懐後、伊予松山藩主松平定直邸に預けられ、元禄16年2月4日、その生涯を閉じました。享年24。俳人としても優れ、雅号は放水子、竹原。大高忠雄編の『俳諧二ツ竹』にも岡野の句が収められているということです。(写真は泉岳寺と岡野金右衛門の墓)
 
絢爛豪華な廓の場面。普通ならその他大勢に扱われそうな遊女たちにも主演級の女優さんたちが紛れていて、オールスターならではの贅沢の極みといえましょう。

 スターシステムをとる当時の東映が豊富なスターを割り振っての忠臣蔵絵巻。赤穂浪士という男性中心の物語だけに女優の役どころが少なく、美空ひばりさんのおたかはそうした中で生み出された想像上の人物でした。

 オールスター映画の中とはいえ、まだ初々しさの残る橋蔵さんとひばりさんの「トミイ・マミイコンビ」はファンにとって、いつ見ても楽しい胸躍る作品となりました。

 
(文責・古狸奈 2012・12・26 初出)

ふり袖太平記

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「ふり袖太平記」1956・10・9 東映京都作品)
  原作・斉藤豊吉(「平凡」連載) 脚色・八尋不二

 監督・萩原 遼


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  <配 役>

   露木新太郎  …大川 橋蔵

   小   浪  …美空ひばり

   旋風の次郎吉 …星  十郎
   濡髪おえん  …浦里はるみ

   幾江小市郎  …片岡栄二郎

   駒木 飛騨  …吉田 義夫

 

ものがたり
 安房館山の名家里見家の血筋を引く菅谷織部正は6000石の江戸常勤の旗本。一人娘の小浪は国元で乳兄妹の露木新太郎と健やかに成長していた。
 だが、小浪の母親を離別させ、妹繁野を正室に据えた駒木飛騨は菅谷家乗っ取りを企んでいた。盗賊の次郎吉に江戸城の書物庫から「里見家改易次第書」を盗ませ、失脚を謀ったが、次第書に10万両の謎を秘めた鍵形赤銅造りの手鏡が存在することがわかり・・・

 

雑誌連載とラジオ放送
 『ふり袖太平記』は斉藤豊吉原作、矢島健三画で、1956年上半期、雑誌「平凡」に連載された同名小説が映画化されたものです。挿絵には橋蔵さんとひばりさんの写真がはめこまれ、今見てもわくわくする誌面となっています。
 また、残念ながら私は聴いていないのですが、土、日曜を除く毎日、5時から5時15分、ラジオのニッポン放送でも連続ドラマとして流されていたようです。

 ラジオといえば、57年1月から59年2月までラジオ東京(TBSラジオ)で放送された『赤胴鈴之助』を思い出します。福井英一、武内つなよし氏の『赤胴鈴之助』は1954年、「少年画報」に第1回が掲載されたあと、福井氏が急逝、武内氏が引き継いでヒット作となりました。

 ラジオでは鈴之助…横田毅一郎、しのぶ…藤田弓子、小百合…吉永小百合、語りは当時15歳だった参議院議員の山東昭子さんが出演していました。テレビなどまだ一般家庭にはない時代でしたから、ラジオが最高の楽しみ。毎回、ラジオに耳を近づけて聴き入り、想像を膨らませていたのです。

 『ふり袖太平記』のラジオ放送を知っていたら、きっと夢中になって聴き入ったことでしょう。どこかにテープでも残っていないかと、願うのですが・・・

 
里見家と『南総里見八犬伝』

 さて、南総館山の里見家は中世栄えた名家でしたが、1622年、忠義の妻の実家、小田原城主の大久保義隣の改易に連座させられ、安房は没収。当主の忠義が没すると跡継ぎがいなかったため、里見家は断絶してしまいました。

やがて、江戸時代後期、曲亭馬琴(滝沢馬琴)が読本『南総里見八犬伝』を著しました。里見家の史実を土台にしながらも、歴史的事実より虚構を大きくふくらませ、文化11年(1814)に刊行が開始され、28年かけて天保13年(1842)に完結。全98巻、106冊に及ぶ大作となりました。執筆途中失明し、息子の妻の路が口述筆記したと伝えられています。上田秋成の『雨月物語』などと並ぶ江戸時代の戯作文芸の代表作で、日本の長編伝奇小説の古典の1つとされています。馬琴作には他に『椿説弓張月』などもあります。
『南総里見八犬伝』は室町時代を舞台に、安房国里見家の姫・伏姫と神犬八房の因縁によって結ばれた8人の若者(八犬士)を主人公とする物語で、発端や構成など『水滸伝』の影響を受けているといわれています。儒教道徳に基づく勧善懲悪や因果応報などが色濃く出され、発行部数は500部ほどでしたが、貸本で多くの人に読まれました。

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手鏡に刻まれた8つの文字  
「犬」の文字を姓に持つ八犬士は仁・儀・礼・智・忠・信・孝・悌の文字のある数珠の玉(仁義八行の玉)と、ぼたんの形のあざを身体のどこかに持っているのですが、『ふり袖太平記』ではこの8文字が鍵形の手鏡に刻まれていて、その文字をたどって里見家の財宝を探し当てるという展開になっており、『八犬伝』を意識して書かれたことは間違いないでしょう。
また、物語の最後は、天明4年(1784)、老中田沼意次の長男、若年寄の田沼意知が刺され、その事件がきっかけとなって、田沼政治が衰退していった史実を伏線に、父親が赦免になる形でめでたくまとめられています。
 
トミイ・マミイの魅力満載
この作品での橋蔵さんは初々しく瑞々しい若侍ぶりを発揮しています。冒頭の振り返りざまアップに映し出される笑顔は思わず胸がキュンとなるほど素敵ですね。今風に言えば、まさしく「国宝男子」です。
ひばりさんは気の強い武家娘ぶりが何とも愛らしく、敵の目をくらますための男装も嫌味となっていません。好きなのに素直に言えず、喧嘩ばかりしてしまう勝気な娘役はひばりさんならではの魅力があり、『おしどり囃子』同様、爽やかなトミイ・マミイコンビの魅力満載の作品です。ふたりとも若くて、青春真只中。
星十郎さんは珍しく、完全な悪役。駒木飛騨の手先として次第書を盗み出し、財宝の秘密を知ると、今度は自らが先回りをして小浪の手鏡を狙い襲うという許せない奴。
その上のさらに憎っくき悪役が吉田義夫さんの駒木飛騨。吉田さんの凄みのある悪役ぶりは子供心にいつ見ても恐かったことを思い出します。
浦里はるみさんの濡れ髪おえんの色っぽいこと。妖艶で大人の魅力に溢れています。
片岡栄二郎さんの幾江小市郎は片岡さんの真面目さがにじみ出ています。
堺駿二さんは今回は年寄りの爺。どんな役でも観客に笑いの渦を引き起こしてくれる貴重な役者さんです。
 
デビュー12作目の『ふり袖太平記』。橋蔵さんは演技も立ち回りもまだ完璧とはいえませんが、敵に取り囲まれたとき、中央にすっくと立つ姿は踊りと舞台で鍛えた素養を感じさせます。
立っているだけで絵になる橋蔵さんは、「かっこいい男子は国宝」(「女性自身」2013年1月15日号)と語られる写真家・蜷川実花さんと同時代に生きていらしたら、間違いなく「国宝男子」ナンバーワンとして、写真集のトップページを飾ったことでしょう。
 
(文責・古狸奈 2013・1・29 初出)

喧嘩道中

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「喧嘩道中」1957512 東映京都作品)
脚本・比佐芳武 監督・佐々木康

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<配 役>
草間の半次郎  …大川 橋蔵
お た か   …千原しのぶ
お か つ   …吉野登洋子
お し ん   …花村 菊江
戸倉屋彦右衛門 …高堂 国典
彦   作   …立松  晃
呑みこみの金介 …徳大寺 伸
お   雪   …丘 さとみ
 
ものがたり
 豪商戸倉屋彦兵衛の娘、おたかを松平伯耆守の部屋づとめに送りこんで、己の栄華をはかろうとした彦作だったが、婚礼の晩、おたかは姿を消してしまう。おたかに500両の懸賞金がかけられ、追手が差し向けられた。
 一方、妹お雪を捜して旅する半次郎は、おたかの兄彦作がお雪を捨てた男だと知る。やっと会えたときには宿場女郎として変わり果て、病にふせるお雪の姿だった。お雪は「彦作が懐かしい」と言って死んでしまう。
 
橋蔵さん初の股旅物
 この『喧嘩道中』は橋蔵さんが映画デビューしてから24作目の作品。それまでは若さまのような、もともとは身分や由緒ある家柄の出身という役どころが多かったのですが、この作品は初の股旅物で、草間の半次郎という若さあふれる旅烏を演じています。
 その後、「草間の半次郎」はシリーズとして4本映画化されましたが、主人公の名前は同じでも全て独立した物語になっています。
 
おたかと半次郎
 この作品では婚礼の場から逃げ出してしまった豪商の娘・おたかと、妹を探して旅に出ている半次郎が知り合い、お互い憎からず思いながらも、おたかの兄が半次郎の妹を捨てた相手という皮肉な運命。おたかにかけられた懸賞金目当てに暗躍する小悪党たち。恋の成り行きと追手の危険が迫るおたかの身の上が物語の大枠となっています。
 見どころはやはり、半次郎に一目惚れしたおたかと半次郎との絡みでしょう。豪商の娘らしい気位と、それでいて酒の勢いで半次郎に迫るおたかの大胆な行為。酒を飲んでいるということで拒絶する半次郎。このあたりに、映画が製作された当時の男と女の理想像や恋愛観が見え隠れしています。
 おまけにおたかの兄が、妹を捨てた彦作と知り、頑なに一線を引こうとする半次郎の思い。それに耐えなければならないおたか。ふたりの心の葛藤が主なテーマとなっています。
 妹が死んでしまい、その恨みが最高潮に達したとき、お雪の彦作への思いを察し、振り上げた長脇差を鞘におさめる半次郎。後半の山場です。
 
素敵な共演者
 千原しのぶさんのおたか、鳥追い姿でも凛とした豪商の娘の気品が漂っていました。
 徳大寺伸さんの呑みこみの金介、小悪党だが憎めない、物語の牽引役です。
 高堂国典さんの戸倉屋彦右衛門、おたかの味方のご隠居さん。粋で頼もしい存在でした。
 丘さとみさんのお雪、この作品では丘さんはまだ新人で、臨終の場面だけの出演ですが、その後、東映を代表する女優として成長していきます。
 もちろん、半次郎役の橋蔵さんもこの当時は国民的アイドルスター。爆発的な人気が渦巻く中で、橋蔵さんと同い年の兄を持つ私は、橋蔵さんに素敵なお兄さまとしての憧れを膨らませていました。
 
艶やかな鳥追い
半次郎の歩く姿にかぶさりながら流れる、主題歌「三味線道中」を歌っているのは、コロンビアレコードの花村菊江さん。普通歌手の映画出演は鳥追いか、新内流しの扮装で歌うだけというのが多いのですが、この作品では歌だけでなく、おたかと旅する鳥追い姿の三人娘のひとりとして出演しています。
ところで、鳥追いは門付け芸のひとつで、江戸中期以降、新年の2日から15日ごろまで、女太夫たちが仕立て下ろしの着物に日和下駄、編笠姿で三味線などを弾きながら、鳥追い歌を歌って家々を回ったもので、正月を過ぎると菅笠に変り、鳥追いとは言わないのだとか。映画などで正月に限らず鳥追いが出てくるのは、化粧をし、艶やかな着物姿の鳥追いは綺麗で色っぽく、絵になることから用いられ、史実としては間違いだそうです。
鳥追いの艶やかな姿は人気を呼び、江戸から地方に伝わり、現在も各地の盆踊りなどに編笠の鳥追い姿で踊る形で残っているということです。
 
しんとんとろりと良い男
さて、花村菊江さんは1938520日生まれ。1955年、コロンビアレコードからデビュー。1960年、「潮来花嫁さん」が大ヒットし、NHK紅白歌合戦にも2年連続で出場しました。
2005年には潮来市前川あやめ園内に「潮来花嫁さん」の記念碑が建てられています。
2011612日、潮来市で東日本大震災チャリティーショーを開催。「潮来花嫁さん」や「潮来の雨」などを披露し、健在ぶりをみせていましたが、その3ヵ月後の929日、クモ膜下出血がもとで亡くなりました。享年73
鈴をころがしたような歌声という形容がぴったりの、当時を代表する歌手のひとりです。
佐々木監督は映画の中に歌を取り込むことの得意な監督で、『喧嘩道中』では石本美由紀氏作詞、万城目正氏作曲の「三味線道中」と「いろは笠」の2曲が挿入されています。
特に、「しんとんとろりと良い男 とことろりことんとんとん」は実に調子のよいメロディー。映画が終っても知らず知らず、口ずさんでしまいますね。
 
(文責・古狸奈 20111023 初出)

恋山彦

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「恋山彦」1959920 東映京都作品)
  原作・吉川英治 脚本・比佐芳武/村松道平
  監督・マキノ雅弘
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  <配 役>
   伊那小源太
   島崎無二斎 …大川橋蔵
   お 品   …大川恵子
   おむら   …丘さとみ
   英一蝶   …伊藤雄之助
   柳沢吉保  …柳永二郎
 
ものがたり
5代将軍綱吉の治世、天下の実権は老中柳沢吉保に握られていた。
そのころ、伊那・虚空蔵山の頂に伊那平家と呼ばれる一族があった。一族の首領・小源太が人身御供と称して連れ帰ったお品から柳沢吉保の悪行を知ることとなった。朝敵を討つ機会を待っていた伊那平氏は江戸城へと乗り込んでいく。だが、逆に討手に追われ、小源太は江戸城の堀に身を投じるのだった。
小源太は画師・英一蝶に救われていた。追手が迫る中、小源太と瓜二つの無二斎は身代わりとなって、壮絶な最期を遂げるのだった・・・
 
対照的な2つの役
この『恋山彦』(原作・吉川英治)は、昭和12年、阪東妻三郎主演、マキノ雅弘監督で人気を博した作品で、今回は2度目の映画化。前回に引き続きメガホンをとるマキノ雅弘監督は過去にとらわれず、橋蔵さんの持ち味を生かした作品作りを、と語っています。
名絃「山彦」に結ばれた清純な恋と勇敢な小源太の活躍がみどころです。
 
この映画で橋蔵さんは平家の末裔、伊那小源太と世をすねた島崎無二斎の2役を演じています。片や高貴な気品ある平家の御曹司、片や世俗にまみれたニヒルな浪人と、まったく対照的な役どころです。
メーキャップ、衣裳、言葉遣い、立ち回り、ラブシーン、それぞれの違いをお楽しみください。
 
立ち回りに見る様式美
橋蔵さんの立ち回りの美しさは定評がありますが、小源太が討手に追われ、櫓から飛び降りるまでの立ち回りはまさしく舞踊そのもの、歌舞伎の様式美そのものです。
まず長袴に薙刀の姿からして、本来なら戦える扮装ではありません。袴の裾を払いながら、薙刀を操っての立ち回り。裾を踏まれたらそれでおしまいになってしまいそうなのに、討手は決して裾を踏まないのです。
最後には髷の元結が切れ、総髪になっての小源太、歌舞伎絵巻を見るような華麗な立ち回りです。
 
映画と歌舞伎を融合させたスター
この『恋山彦』は歌舞伎や能を連想させるような場面が随所に見られます。
人身御供の輿の前にあらわれる異形な姿の剣の舞、江戸城大広間での小源太の平安朝貴族の衣裳と朗々とした声、討手との小源太の立ち回り、最後に柳沢吉保の屋敷で「春日龍神」の竜王に扮して颯爽と舞いながら、「ひとつ・・・」と声を上げる場面。
これらの場面は歌舞伎の様式美がそのまま映画の中に組み入れられている、と考えていいでしょう。
もともとが歌舞伎出身の橋蔵さんは歌舞伎と映画を融合させた時代劇スターです。橋蔵さんの映画の格調の高さと全作品に流れる気品は、歌舞伎の様式美に基づく映像表現がかもしだすもの、といってよいと思われます。
 
多いリメイク作品
ところで『恋山彦』は戦前(昭和12年)、阪東妻三郎さんの小源太と無二斎、花柳小菊さんのお品で製作されています。前回も今回も常に苦楽を共にした盟友、比佐芳武、マキノ雅弘のコンビに、今回は脚本に共同執筆、村松道平さんが加わっての撮影です。
このように橋蔵さんの作品はリメイク作品といわれるものが実に多いのです。『恋山彦』はじめ、『喧嘩笠』、『清水港に来た男』、『雪之丞変化』、『月形半平太』、『修羅八荒』、『この首一万石』等々。代表作の多くがリメイク作品なのです。もっとも『忠臣蔵』などは手を変え品を変え製作されていて、リメイク作品の最たるものかもしれませんが・・・
一般的にリメイク作品は安易に製作できるというイメージがあることから、橋蔵さんの出演作にこれらの作品が多いことで、「綺麗なだけの娯楽時代劇スター」と、片付けられてしまっているような気がして残念で仕方ありません。
しかし、同じストーリーでも脚本と演じる俳優が違えば、作品の表現も違ってくるもの。ここで『恋山彦』の阪妻版と橋蔵版を見比べてみることにしましょう。
 
豪快な阪妻版『恋山彦』
20137月、京都文化博物館で、阪東妻三郎主演の『恋山彦』が上映されました。以前から見たいと思っていたので、出かけていきました。
阪妻版『恋山彦』は戦前の作品ですから、当然モノクロで画面も小さく、鮮明さも欠けるのですが、橋蔵版『恋山彦』はカラーでワイドスクリーン。映像技術の進歩に目覚ましいものを感じます。おまけに橋蔵版は東映時代劇全盛期の作品ですから、セットも豪華。そのあたりを戦前の作品と比較するのは酷というものでしょう。あくまでも登場人物の描かれ方を見ていきたいと思います。

阪妻さんの小源太は強い豪放的な面が際立っています。山間で育った野武士的な野性味があり、衣装も袴立ちの江戸時代の雰囲気。王朝風の衣装は江戸城に乗り込む時のみで、櫓での立ち回りはどちらにも見られます。小源太には幾分おっとりした面がうかがえましたが、小源太も無二斎もどちらも雄々しい感じで、役柄の差はあまり感じられませんでした。
小源太たちが仲間を助けるため、小塚原の処刑場に斬り込む時の迫力や力強さは阪妻さんならではのもので、破壊力といい痛快そのもの。当時の観客が夢中になったのも頷けます。
 
花柳小菊さんのお品は初々しく可愛らしい美しさでした。私が映画を見はじめたころの花柳さんはすでに大人の魅力の上品な美しさをたたえた女優さんだったので、清純な美しさに見とれてしまうほどでした。
小源太とお品が逢い、「山彦」を弾く場面は屋内でなく山の頂。ここでも野武士的な雰囲気を感じることとなりました。
豪快さが魅力の阪妻版でしたが、ひとつだけ残念だったことは無二斎が自決する場面が映し出されなかったことでした。画師に頼まれて身代わりになった無二斎は簡単に捕まってしまい、無二斎の最期は切腹したという吉保の側近たちの台詞で終わってしまっていたので、物足りなさを感じました。結局、阪妻版『恋山彦』では無二斎は脇役としての扱い。もし自決する最期の場面まで演じられていたら、きっと鬼気迫るものとなっていたと想像しています。
 
華麗な橋蔵版『恋山彦』絵巻
一方、橋蔵さんの小源太は実に優雅。平家末裔の御曹司としての気品に溢れています。俳優の個性を引き出すことに長けていたといわれるマキノ監督は、橋蔵さんの優雅さを全面的に押し出し、より典雅な小源太を描き出しました。強いだけでなく、正統を継ぐ者の品格と華麗さが全編を通じて漂っています。衣装も平安時代末期から鎌倉時代を連想させる装束で統一。世俗から離れた夢幻の世界を作り出しました。
気を失っているお品に口移しで水を飲ませるシーン。白い着流し姿の小源太とお品の初夜のラブシーン。櫓での長袴と薙刀での立ち回り等々・・・どれも絵巻物を見ているような美しさです。
 
片や無二斎は世をすねた浪人者。酒におぼれ、よれよれの衣装を身にまとい(といっても吟味された衣装なのですが)、おむらを相手に世の憂さを慰める日々。今まで見られなかった役柄です。
無二斎のメーキャップは小源太のような白塗りではなく、肌色を意識した褐色で、男っぽい野性味を加味し、眉は太く髭の剃り跡も感じられるような荒削りの風貌。
台詞は荒っぽく、ちょっと不貞腐れたような言葉づかい。酒に酔う声もくぐもりがちで、凛とした声の小源太と対照的です。
無二斎とおむらのラブシーンは2人のやりとりがほほえましく、庶民的な雰囲気で楽しいものとなっています。マキノ監督が大切にした男女の情愛を台詞の「綾」で描いているのです。
小源太の立ち回りが華麗で優雅なら、無二斎のは激しく壮絶。小源太の身代わりとなって、橋の上から、「小源太が最期を見よや」と自決する場面は圧巻で、悲壮感さえ漂います。
 
このように、無二斎は全てが小源太と対照的に描かれています。橋蔵版『恋山彦』では小源太と無二斎の全く違った2人の登場人物がほぼ同格で、それぞれの個性を十分に生かして活躍しているのです。優雅さと豪放磊落・・・対照的な2つの個性がからみあって、幻想的で痛快な作品となっています。この作品で、橋蔵さんは、小源太の美しさで観客を魅了させ、無二斎で新境地を切り拓きました。
阪妻版『恋山彦』の豪放さと、橋蔵版『恋山彦』の優雅さ。特に橋蔵さんの小源太を中心として繰り広げられる雅な世界は、後世、他の出演者によって、リメイク作品が製作されたとしても、おそらく橋蔵版を超える作品は生まれないでしょう。
<参考・『新潮』105巻2号(2008年2月号)山根貞男「マキノ雅弘」第7章 リメイク考
 
「あでびと」は流行語に
 最後にエピソードを。
 気品ある美しさの大川恵子さんのお品はまさに「あでびと」
この作品では平家一族の使う雅な言葉遣いが話題となりました。「そちゃ、あでびとよのう」の「あでびと」はスタッフの間で流行語になったようです。
 
また、お品の入浴シーン。
当時のカラー撮影は白黒映画のときより、照明を数倍明るくしなければならず、ライトも多数使用。そのためスタジオは猛烈な暑さとなり、大川恵子さんは10分くらいで、湯のぼせしてしまったのだとか。監督になだめられて撮影を続行したそうですが、女優さんも大変だ、とスタッフに気の毒がられたとか。
湯船に気持ちよさそうに浸かっていらっしゃいますが・・・
 
この『恋山彦』は橋蔵さん自身もお好きだったようで、ご自宅にフィルムを所蔵されていたそうです。20129月、池袋の新文芸坐で開かれた『大川橋蔵映画祭』でのトークショーで、ご子息の丹羽貞仁さんが語られていたことが印象に残っています。
 
            (文責・古狸奈 2010・4・13 初出  2015426 改訂)
 

 
[付録]
掲示板のコメントから
『恋山彦』は橋蔵さんのファンの中でも人気のある作品なので、「談話室」にはさまざまなコメントが寄せられていました。覗いてみると・・・
 
◎恋山彦投稿者:弘美 投稿日:2010 128()
  梅酒のコマーシャルではないけれど「トロリンコ」! とろ~りと蕩けてきました。
「そちゃ、あでびとよのう~」橋様に抱かれ清水を口移しに・・・・・
糸が引きます!!  はっきりと大きな画面でくっきりと!!!
「死なせてなろうか」~もう死んでもいい!私だけではないでしょうね!このような思い
歌舞伎の匂いがほんのり残る 橋様の所作と殺陣
気品ある小源太は、橋様あっての役どころ
素顔の橋様と重なる無二斎 双方の着流しの着物の品のよさ  
 
◎糸もクッキリ・・?投稿者:小部屋 投稿日:2010 128()  
   昨日梅田ブルク7で『恋山彦』を観てきました。われわれグループは6人、観客全体は20名弱で、ほとんどがわれわれと同世代の方ばかりでした。男性も女性も一人で来られている方が多かったです。
大画面で綺麗なプリントなので上映されたとたんスクリーンに引き込まれていきました。東映も全盛期だからセット、衣裳、小道具、エキストラもお金がかかっていて豪華そのものだし、橋蔵さんも演技や殺陣などすべてにスターのオーラが立ち昇っていて大満足のひと言でした。
 
皆さんがとろり~となっている問題の場面は、映画がはじまってしばらくして、気を失っている娘、お品に口移しで清水を飲ませるシーン。小源太の顔が大画面に映し出され、その美しさだけでも胸がいっぱいになるのに、糸を引いていると大騒ぎ・・・現実とも思われない雅な世界へのはじまりなのです。
 
                         
 

バラケツ勝負

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「バラケツ勝負」1965213 東映京都作品)
  脚本・比佐芳武 監督・松田定次

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  <配 役>
   武村 久雄 …大川 橋蔵
   武村久五郎 …志村  喬
   相良 主任 …大木  実
   妙   子 …藤  純子
   お か つ …久保菜穂子
   花   奴 …桜町 弘子
   佐和 勘吉 …山城 新伍
   木下 鹿造 …曾我廼家明蝶
   秋月京太郎 …内田 良平
 
ものがたり
 大正初期の神戸湊川新開地。当時そこは最大の歓楽地帯で博徒、クスブリ、バラケツなどの争いが絶えなかった。
 地元兵庫県警の鬼刑事、武村久五郎には久雄という勘当した息子がいたが、彼はバラケツ仲間に顔を売っていた。
 ある日、久雄は花奴と酒を酌み交わし泥酔してしまう。夜中、転寝から目覚めた久雄は傍らで花奴が死んでいるのを見て驚愕した。手には血にまみれた匕首が握られていた。
 あわてて逃げ出す久雄。警邏中の久五郎は久雄の仕業と思い、久雄の代わりに自首して出るのだった・・・
 
唯一の非まげ物映画
 『バラケツ勝負』は大正初期の神戸湊川新開地を舞台にした、橋蔵さん唯一の非髷物映画です。
脚本は草間の半次郎シリーズなど多くの橋蔵さん主演作を手がけている比佐芳武氏で、監督は『新吾十番勝負』の松田定次氏。ミステリー色が強く打ち出され、他の任侠映画とは一線を画した作品となっています。
橋蔵さんの役どころは父親が後妻を娶ったことに反発して、不良仲間に身を投じ、勘当された息子の久雄で、父親の久五郎は兵庫県警の鬼刑事という設定。親子とも表面上は親でも子でもないと突っぱねていますが、内心は肉親の情が残っていて、特に志村喬さんの父親の子を思う心情には切ないものを感じさせます。殺害現場で犯人は息子の久雄と思い、血まみれの匕首を手に息子の代わりに自首。刑務所内では断食を続け、心配する看守に「喉に通らんのです」と答える切なさ。志村喬さんの久五郎の存在が他のやくざ映画と違って、作品を情感あるものにしています。
 
可愛らしいすっぴんの橋蔵さん
この作品は橋蔵さんにとって、唯一の髷をつけないザンギリもの。
目張りも白塗りもないすっぴんの橋蔵さんの久雄は何とも可愛らしいのです。目がくりっとしていて、下膨れの顔がいかにも育ちのいい家のお坊ちゃんがグレて不良になったという感じ。そのせいか生活臭がなく、勘当されているにもかかわらず、居候たちを養っていくための生活費のことなど、関係なさそうに悠々としています。
相変わらずのモテモテぶりで、藤純子さんの妙子、久保菜穂子さんのおかつ、桜町弘子さんの花奴と3人の美女に好意を寄せられる、プレイボーイという役回り。ならば、橋蔵さんが美女一人ひとりを口説く場面を見たかったような気もするのですが・・・
物語の前半は久雄と久五郎親子の相克や博徒の殴りこみ、秋月京太郎の訪問など、登場人物や物語の伏線を描き出すことを主に進められていきます。久雄の傍らで花奴が殺害されてからの後半はミステリータッチ。犯人捜しに焦点が合わされ、物語が展開していきます。
秋月京太郎の内田良平さん、木下鹿造の曾我廼家明蝶さんが好演。敵役の佐藤組組長として、のちに『銭形平次』の万七親分でレギュラー出演された遠藤辰雄さんの顔も見えて、作品を楽しいものにしています。
 
戦後寂れた新開地
映画の舞台となった神戸湊川新開地は現在の神戸市兵庫区。JR神戸駅西300メートルあたりから北へ延びる一帯で、戦前は隣接する福原と共に歓楽地として繁栄していました。
戦後は進駐軍に接収され、なかなか返還してもらえなかったことから復興に遅れをとり、市役所が三宮に移動したこともあって、急速に寂れていきました。「ええとこええとこ」と謳われた新開地は浮浪者がたむろし、隣の福原がソープランドやラブホテルなどの風俗営業の街に変貌したこともあって、荒廃したいかがわしいところというイメージが強くなってしまったのです。
今でも地下を神戸高速線が走る多聞通りの北側は、パチンコ屋や競艇の場外券売り場などが並んでいますが、震災後、街に活気を取り戻そうと、JR神戸駅に近い一帯はホールやシアター、練習用の貸アトリエを備えたアートビレッジセンター、新劇会館、大衆演劇の新開地劇場などが整備され、芸術の発信地として面目を一新しています。
 
甘さや気品が邪魔をして
ところで、このとき橋蔵さんは35歳。東映の任侠路線に沿った初めての作品でした。
普通、任侠映画の主人公は凄みがあり、人生の辛酸をなめた陰影を感じさせる俳優が適しているように思われるのですが、橋蔵さんの場合、甘さや気品が邪魔をして、凄みが出てこないのです。一言で言えば、橋蔵さんのキャラクターではないのです。
この作品の場合は、ミステリータッチでうまく仕上がっていますが、任侠映画を撮り続ける場合、いつまでも良家のお坊ちゃんやくざを演じるわけにもいかず、『バラケツ勝負』が年齢的にも限界だったように思います。おまけに舞台は神戸。東京ならば歯切れのいい江戸弁の橋蔵さんの魅力が引き出せたかもしれないのですが。
『バラケツ勝負』が封切りされたすぐ後の「キネマ旬報」誌上の匿名座談会で、「橋蔵はまったくへなへなして」とあり、「『バラケツ勝負』の不調で、次回に予定されていた『飛びっちょの鉄』の撮影が中止、橋蔵の映画出演はしばらく様子見となった」、と書かれていました。橋蔵さん、まったく踏んだり蹴ったりでしたね。
 
東映、任侠路線で生き残り
65年ともなると、テレビの普及により、映画界は急速に下降線をたどっていて、東映も任侠ものやエロやセックスを主体にした路線へと変更していました。過日、新文芸坐で中島監督がトークショーで語られたように、映画館でしか見られない作品を製作することで、東映は生き残りをかけていたのです。健全な作品はお茶の間のテレビで、映画館は限られた層の欲求を充たす暴力やエロなどに特化されていきました。
そうした中で、橋蔵さんは自分の映画界での立場や将来について、随分と悩まれたのではないかと思います。東映との契約も10年の節目が来ていて、決断を下さなければならないときでもあったようです。
おまけに当時、橋蔵さんは結婚問題でも週刊誌などで取り沙汰されていました。あれこれ書き立てられ、映画の出演数も減っていたので、このまま干されてしまうのではないか、と随分とやきもきしたものです。
もっともこの時、橋蔵さんは「東映歌舞伎」など舞台に出演されていて、一般のファンの見えないところで活躍されていたのです。この経験が橋蔵さんに舞台への郷愁を呼び覚まさせ、のちの歌舞伎座や明治座、大阪新歌舞伎座での定期公演に繋がっていったのでしょう。
 
結局、橋蔵さんはテレビを選ぶこととなりました。665月、フジテレビの『銭形平次』で堂々復帰。その後、18年に及ぶ金字塔を打ち立てました。また、年3回の舞台で、舞踊家としての本領を発揮していかれるのです。
この『バラケツ勝負』は橋蔵さんの映画からの決別と転機を促した作品といえるでしょう。一方、この時共演した藤純子さんは「緋牡丹お竜」として、任侠映画路線の東映映画にあって、大輪の花を咲かせていくのです。
 
(文責・古狸奈 20121010 初出

大喧嘩

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「大喧嘩」196495 東映京都作品)
  脚本・村尾 昭/鈴木則文/中島貞夫
  監督・山下耕作
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  <配 役>
   榛名の秀次郎 …大川 橋蔵
浅井の伊之助 …穂高  稔
並木の芳太郎 …河原崎長一郎
お か よ  …十朱 幸代
お ゆ き  …入江 若葉
勝場の藤兵衛 …加藤  嘉
松井田の多助 …西村  晃
三鬼剛太郎  …丹波 哲郎
 
ものがたり
 浅間の噴煙をのぞむ小田井宿は勝場一家のものだった。笹島一家の再三の横車に業をにやした勝場一家は喧嘩状を叩き付け、敵方の親分を叩き斬った榛名の秀次郎は行末を誓い合った藤兵衛の一人娘おかよに別れを告げて旅に出た。
 それから3年、秀次郎が小田井宿に戻ってみると、宿場の様子はすっかり変わっていた。
 
刺激を受け山下監督に
 この作品は橋蔵さんが『関の弥太ッぺ』に刺激を受け、山下監督に依頼したとされる作品です。『関の弥太ッぺ』は63年、長谷川伸原作、山下耕作監督、中村錦之助主演で映画化され、好評を博しました。
山下監督は1930年、鹿児島県生まれ。内出好吉、小沢茂弘、内田吐夢監督などのもとで助監督を長年務め、『若殿千両肌』で監督デビューしました。『関の弥太ッぺ』で監督として注目されましたが、時代劇は斜陽となっていたため、その後は、任侠ものでその力量を発揮しました。『兄弟仁義』、『日本侠客伝』、『昭和残侠伝』などを演出。主題歌が流れるなか、主人公が殴り込みに向かうパターンを格調高く、甘美に演出しました。若山富三郎さんの『極道』、藤純子さんの『緋牡丹博徒』などのシリーズも手がけています。その後、『山口組三代目』などの実録路線にも取り組んでいます。
この『大喧嘩』は村尾昭、鈴木則文、中島貞夫の3氏が脚色、『弥太ッぺ』に影響を受けたとみられる場面が随所に見られますが、まったくのオリジナル作品です。十朱幸代さんが『関の弥太ッぺ』に続いて、おかよ役で出演。丹波哲郎さんがめっぽう強い浪人役で登場しています。
 
3年後、帰ってみると
 映画が始まるとすぐ、勝場一家の親分、子分の固めの儀式が描き出されます。酒の満たされた盃の中に指を傷つけて血を垂らし、盃を交換して飲み交わすのです。実際にこのような形で儀式が執り行われていたのかわかりませんが、興味深い場面です。
 加藤嘉さん演じる親分勝場の藤兵衛。子分は橋蔵さんの秀次郎と穂高さんの伊之助。まだ農家の若い衆の橋蔵さんはおどおどした面持ちで怖々盃を飲み干します。
 勝場一家と笹島一家の果し合いが始まり、秀次郎がむしゃらに突き進んで刺した相手が笹島一家の親分。秀次郎にしてみれば、それこそ間違えて手柄をあげたことになるのですが、結局、ほとぼりの冷めるまで3年の草鞋を履くことに・・・このあたりの秀次郎は特別取り柄もなさそうな普通の青年です。
 そして、3年後、颯爽とした秀次郎となって帰ってくるのです。しかし、帰ってみると、行く末を誓い合っていたおかよは伊之助の女房になっていた・・・秀次郎とおかよとの恋の成り行きがまず第1のテーマです。
 
牧歌的な詩情生む水車小屋
 水車小屋が牧歌的な詩情を生み出しています。物語の舞台は絹の産地の小田井宿。縁側でおかよが紡ぐ糸車と田園風景を背に水車の回転する動き。現実と思い出を交差させます。特に水車小屋は秀次郎とおかよの恋人どうしの別れ、夕立にあって小屋に逃げ込んだ伊之助とおかよに、伊之助がおかよへの思いを告げる場面など、決定的なところでよく使われます。『くれない権八』でも権八が誤って仇となってしまったことを知り、大川恵子さんの比呂恵に討たれようとする場面も水車小屋の中でした。殺伐としたやくざ同士の対立場面の多い中で、水車小屋の風景はほっとした安らぎを与えてくれます。
 
義理立てして諦める恋
 おかよが伊之助の女房になっていることを知り、悩む秀次郎。しかし伊之助がおかよを助けようとして殺されてしまってから、逆に伊之助に義理立てしておかよを諦めようとします。大喧嘩のあと、ひっそりと旅に出るのですが・・・
 この最後の結末がどうにも解せないのです。親も夫も失ってしまったおかよにしてみれば秀次郎が唯一頼れる相手のはず。それなのにおかよを置いて、旅にでなければならないのかと・・・男の美学だといえばそれまでですが、必然性が感じられないのです。『関の弥太ッぺ』の場合は飯岡の助五郎一家との対決が待ち構えていました。別れに必然性があったのです。しかし、秀次郎の場合は伊之助への義理立て。おかよの本当の幸せはどうなのだろうかと思ってしまいます。それとも大勢の人を殺めてしまったことから、またほとぼりが冷めるまで旅に出る、ということなのでしょうか。
 
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得体のしれない浪人者
 丹波哲郎さんがめっぽう強い浪人、三鬼剛太郎を演じています。得体のしれないこの浪人者はやたらやくざ同士が喧嘩をするよう仕向けるなんとも厄介な代物です。穏便にすませようと調停役の秀次郎の邪魔ばかりするのです。
実は彼は妻をやくざに犯され、死に至らしめた過去を持っていて、そのためやくざ同士を対立させ、お互いが自滅するよう企てていたのですが・・・彼の過去がわかるまで、何とも不気味に描かれていきます。
秀次郎を一人残して全てのやくざが死んだあと、抵抗もせず秀次郎に討たれてしまいます。何という潔さ・・・
日当を多く出す方に味方しようとする西村晃さんの松井田の多助。マスコットの亀に吉凶を占う微笑ましさ。結局どっちつかずの多助は殺されてしまうのですが・・・
 
集団抗争時代劇
ところで、この『大喧嘩』は集団抗争時代劇として注目を浴びている作品です。今まで時代劇の立ち回りは一人の主人公対大勢の敵役というのが普通でした。しかし、『大殺陣』あたりから集団対集団での立ち回りが描かれるようになったのです。それまでスターシステムをとっていた東映が単独のスターだけでは客が呼べなくなったこともあって、複数の主人公との集団対集団の戦いを生み出したといわれています。とはいえ、最後まで生き残るのはトップスターだったようですが・・・
オールスター作品でみられるやくざ同士の果し合い。しかし本当のやくざ同士の殺しあいはもっと凄まじいものだったのではないか、と考え出された抗争場面でした。喧嘩の場面に実に多くの時間がとられています。
やくざの喧嘩に巻き込まれるのを恐れて、村人たちは家に引きこもり、村中が息をひそめています。敵方の人数は自分たちの倍、戦うように見せて、すぐ逃げるように秀次郎たちは走り続けます。大勢に囲まれたら勝目のない相手を振り落としながら、走り続け、途中待ち伏せしている仲間に襲わせる作戦です。
村道や田の中を走っていくうちに、待ち伏せしている味方が敵を襲い、倒していく。しかし味方もやられて、次々と屍が転がっていくという凄まじさ・・・まさしく死闘です。
いつもの華麗な橋蔵さんの立ち回りはこの作品では見られません。とにかく橋蔵さん、走る、走る、走るのです。
勝場一家と笹島一家が相打ちとなり、誰もいなくなったらわがものにしようと企んでいた上州屋仁右衛門一家も三鬼に殺されてしまい、やくざは一掃。最後は決死の覚悟で戦いに挑む秀次郎に、無抵抗で刺されて死んでしまう三鬼。潔いけれど呆気ない気がしないでもありません。
 
秀次郎はおかよを村に残したまま、もう帰ってこないのでしょうか。掛け違えた男女の縁は永遠に戻らないのかもしれませんが、映画の中では夢を見せてほしいものですね。
(文責・古狸奈 2015525

血煙り笠

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「血煙り笠」19621012 東映京都作品)
  脚本・比佐芳武 監督・松田定次

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  <配 役>
   つばくろの藤太郎 ・・・大川 橋蔵
   とびっちょの松五郎・・・里見浩太朗
   お蝶(小きん)  ・・・朝丘 雪路
   荒井の虎五郎   ・・・三島 雅夫
   田尻の平八    ・・・山形  勲
   仏の甚十郎    ・・・大友柳太朗

 

ものがたり
 妹を殺した甲府勤番の次男坊を叩っ斬って、旅に出たつばくろの藤太郎が草鞋を脱いだ先に、とびっちょの松五郎が訪ねてきた。ところがこの松五郎は藤太郎を狙う勤番側にやとわれた殺し屋、甚十郎と通じていた。
 甚十郎は早く藤太郎を斬ると月々の手当てが入らないからと、奇妙な三人旅が始まった。
 三島の宿で吉野屋の小きんに入れあげた甚十郎。その小きんが恩を受けた日光の貸元の娘、お蝶と知り、驚く藤太郎・・・

 

楽しい明朗時代劇
 この映画が製作された時代の傾向で、タイトルは血みどろのおどろおどろしい感じがしますが、内容はそれほどの残虐性もなく、笑わせられる部分も多い明朗時代劇です。
 ただ、映画が主人公藤太郎の妹が無残に殺されるきわどい場面から始まるのは当時の傾向といえ、好みが分かれるところでしょう。
 日光今市の貸元の所に草鞋を脱いでいた藤太郎のもとに、国で妹が死んだ、という知らせ。急いで帰ってみると、妹は甲府勤番の次男坊に殺されていたのです。怒った藤太郎は妹の仇、勤番の息子を斬り捨て、追っ手を逃れて各地を旅するのですが・・・そこにまたもや現われたとびっちょの松五郎が今度は殺し屋の浪人と通じていて・・・奇妙な三人旅が始まります。

 

三人三様の魅力
 この作品の見どころはスター3人の個性がバランスよく発揮されていることでしょう。

相も変わらず颯爽とした橋蔵さんの藤太郎に、とぼけた味の大友柳太朗さんの浪人甚十郎、おっちょこちょいの二枚目半の里見浩太朗さんの松五郎と、三人三様の魅力がぶつかり合い、実に楽しい作品に仕上がっています。

 朝丘雪路さんは日光の貸元の娘、お蝶の役で橋蔵さんと初共演。「貸元の娘にこんな品のいい娘がいるはずはない」という評が出たほどの清楚で愛らしい娘ぶりを見せています。

 

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東映歌舞伎で座長格
 ちょうどこの頃、東映歌舞伎が明治座で旗揚げされ、歌舞伎出身の橋蔵さんは主力メンバーとして出演しています。628月、明治座での第1回公演夜の部で上演された『花の折鶴笠』は半年後に映画化、映画より舞台が先に発表された珍しい例といえるでしょう。

東映歌舞伎第1回公演は昼の部が『勢揃い清水港』、『旗本退屈男 龍神の剣』、『濡れつばめ』、夜の部が『丹下左膳』、『いれずみ判官』、『花の折鶴笠』となっていて、橋蔵さんは昼の部の『濡れつばめ』と夜の部の『花の折鶴笠』に出演、水谷良重さんの土筆のお芳を相手に軽快な笑いを振りまきました。

このように、第1回公演は東映オールスターの顔見世興行的な色彩が強かったのですが、翌年の第2回公演以降は橋蔵さんが座長といってもよいほど、舞台の中心に位置するようになりました。『血煙り笠』の共演が縁で、雪路さんに舞台出演を要請されたようで、東映歌舞伎第2回(63年8月)から第5回(65年8月)まで、朝丘雪路さんは橋蔵さんと共演。客席を沸かしました。

 東映歌舞伎の舞台出演は橋蔵さんに舞台への郷愁を呼び覚ましたらしく、その後の歌舞伎座の橋蔵公演へと繋がっていくのです。

 

 この頃、映画の斜陽化と、舞台に取られる時間が多くなったからか、橋蔵さんの映画本数は以前より少なくなっていました。まだ高校生だった私は近所の映画館ならまだしも、家から離れた明治座には通うわけにも行かず、橋蔵さんの作品が映画館に掛からないことを物足りなく、さびしく思ったことでした。このまま橋蔵さんの映画が見られなくなってしまうのではないか、と不安に感じたのもこの時期でした。
 実際、ファンの年代も少しずつ上がり、受験、結婚、育児とファンの方も映画館に通う時間もなくなってきていました。茶の間でテレビを見るのが楽しみという生活パターンに変わってきたことも、劇場型娯楽時代劇の衰退の一因になっていたように思われます。

                                                (文責・古狸奈 201546

 
 

復讐侠艶録

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「復讐侠艶録」1956822 東映京都作品)
原作・邦枝完二(東京タイムズ「怪盗五人女」)
脚本・土屋欣三 監督・小沢茂弘

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<配 役>

越坂玄次郎  …大友柳太朗

錦(山県大八)…大川 橋蔵

三日月お才  …日高 澄子
文  江   …田代百合子
紅筆おかん  …三笠 博子
牡丹のおみね …赤木 春江

田沼 意次  …進藤英太郎

 

ものがたり
 徳川10代将軍家治のころ、勤皇の先駆者、山県大弐が捕らえられ、「入門控」が田沼意次に奪われた。「入門控」には水戸藩士の名前が多く書き連ねられていた。
田沼の悪政に拮抗して立った水戸藩の美丈夫、越坂玄次郎と妹文江。文江は「入門控」を捜すべく、田沼の屋敷に奉公にあがっていた。
一方、山県大弐の一子、大八は追手の目をくらますため、女装して復讐の機会を狙っていた。それに協力するお才ら狐面の女賊一味。
やがて越坂と大八らは目的が同じことを知り、共に協力して田沼打倒を誓うのだった・・・

 

勤皇の先覚者、山県大弐
 この物語の発端となる山県大弐(やまがただいに 17251767)は江戸時代享保から明和にかけて生きた儒学者、思想家で、甲斐生まれ。医術にも優れ、勤皇思想を唱えた先覚者として知られています。小幡藩の内紛に巻きこまれ、謀反の疑いありと密告され、1767年(明和4)、処刑されました。(明和事件)
 著書に『柳子新論』。御霊は山県神社に祀られています。
この作品では大弐の「入門控」に水戸藩士の名が多いことから、「入門控」を取り返そうと、妹文江と共に、大友柳太朗さん扮する越坂玄次郎が活躍します。
 
橋蔵さんの5変化
橋蔵さんの役は大弐の息子、大八。追手の目から逃れるため、さまざまな姿に変装します。盗賊、小姓、娘、若衆、侍と5変化。中でも娘姿は艶やかで、田沼意次が見初めるのも無理もない美しさです。
映画入り10作目で、橋蔵さんは「映画に入ってからずっと男役で、女形の癖を出さないようにしていたのに、今度は女装。女の化け方、忘れてしまった」と笑い、「歌舞伎は男だけだから、女形もいいけれど、映画は女優さんがいるのでやりにくい」と語っていますが、「本物の女性より奇麗だよ」と大友柳太朗さんは絶賛。
夏の最中に、綿入れの衣裳に、白塗りのメーキャップ、汗びっしょりの撮影で、あせもだらけになってしまったとか。
歌舞伎の舞台を連想させる女形の台詞回しと声音。見どころのひとつです。
毎回、違った姿で登場する橋蔵さん。それだけでわくわくしてしまいますね。

 

柳太朗・橋蔵コンビ誕生
 『笛吹若武者』に次いで、大友柳太朗さんと2度目の共演です。
 前回の『笛吹若武者』では共演といっても一谷の合戦場面だけでしたが、今回はバッチリ。重厚な柳太朗さんと華麗な橋蔵さんのコンビが誕生しました。
 その後、『新吾十番勝負』、『丹下左膳』など、柳太朗・橋蔵コンビは多くの傑作を生み出すことになりました。
 私生活でも親しかったようで、橋蔵さんにとって、柳太朗さんは公私共に頼りになる兄貴分でした。

 

豪華絢爛きつねの嫁入り
 狐の面をつけた女賊が暗躍するこの作品は、橋蔵さんの女形も加わって、全篇を通じて艶っぽいのですが、オランダ甲比丹を歓迎しての田沼邸での宴の場面、狐の面をつけた嫁入り行列は豪華絢爛。カラーでないのが残念なくらいです。
 エキストラを総動員しての豪華絢爛の場面は、映画が隆盛に向かっている証しともいえるでしょう。その後、映画全盛期にはますます贅沢に、趣向をこらすようになっていきます。華やかな場面は娯楽時代劇の醍醐味ですね。

 

                  (文責・古狸奈 2010522初出


丹下左膳 怒涛篇

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「丹下左膳 怒涛篇」195913 東映京都作品)

  原作・林不忘 脚色・中山文夫
  監督・松田定次

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  <配 役>
   丹下左膳  …大友柳太朗

   伊吹大作  …大川 橋蔵

   お  藤  …長谷川裕見子

   ちょび安  …松島トモ子
   鼓の与吉  …多々良 純

   将軍吉宗  …里見浩太朗

   大岡越前守 …月形龍之介

蒲生泰軒  …大河内傳次郎

愚楽老人  …薄田 研二

お  艶  …桜町 弘子

弥  生  …大川 恵子

 

ものがたり
 その昔、大海賊張鬼竜が隠した財宝のありかを示す、金竜、銀竜の香炉のうちの一つ、金竜がそれを知らぬ将軍の手から柳生に下しおかれた。
 柳生が香炉の秘密に気づかぬうちに、と大岡は配下の与力・伊吹大作とはかり、鼓の与吉を使って、金竜を奪還。しかし、与吉は豊臣の残党一味に襲撃されて、トンガリ長屋に逃げ込んだ。
 香炉を狙う一味を探るため、大作はとび職にばけて、左膳の住むトンガリ長屋に・・・ 

 

豪快で明るい左膳
1958年3月に封切りされた『丹下左膳 決定版』に続く、大友柳太朗さんの左膳を主人公にした「丹下左膳」シリーズ第2弾。59年の初頭を飾るお正月作品として、セミオールスターの豪華な配役で製作されました。

もともとはニヒルで暗いタイプの左膳を大友柳太朗さんは豪快に明るく、長屋の子供たちに好かれる小父ちゃんとして演じ、大友さんならではの左膳を創り上げています。

長谷川裕見子さんのお藤、松島トモ子さんのちょび安のレギュラーのほか、この作品では橋蔵さんが南町奉行与力・伊吹大作で出演。「丹下左膳」シリーズで2人が共演すれば、必ず見られる対決場面が迫力満点です。豪快な大友さんの剣と華麗な橋蔵さんの剣、時代劇の立ち回りの醍醐味が味わえます。

大友さんは斬られ役の剣会の役者さん泣かせだったとか。撮影前、殺陣師と打ち合わせをしていても、本番になるとまるっきり違う動きをみせ、危なくて仕方なかったとか。生傷がたえず、懐に座布団をしのばせ、本番に臨んだと言われています。

つまるところ、あの大友さんの豪快な殺陣を受けて立つことのできた剣会のメンバーの存在が、東映時代劇の面白さを盛り上げていたことは間違いありません。

 
ドキドキしながら拍手喝采
100両払ってくれるというので、相手を疑うことなく香炉を渡してしまい、窮地に陥る左膳。底抜けのお人好しには呆れてしまいます。しかし、そのお人好しぶりが片目片腕という異形の主人公でありながら、映画全体に明るさと楽しさを醸し出しているのです。観客は単純に騙されてしまう左膳にハラハラドキドキしながら、一方でめっぽう強い左膳に拍手喝采をおくるのです。

東映時代劇全盛期の、家族揃って楽しめる娯楽時代劇の王道を行く作品といえるでしょう。やがて、こうした作品はお茶の間のテレビ時代劇にかわり、映画は斜陽化していきます。

映画界の全盛期は57年がピーク。59年になると、映画界全体では陰りが見えはじめていましたが、大勢の人気スターを抱える東映は快進撃を続けていたのです。

 
お藤の粋な魅力

松島トモ子さんのちょび安を中心とした長屋の子供たち。トモ子さんは当時、子役から少女役への転換期にさしかかっていました。大きな目をくりっとさせて歌う国民的アイドル歌手もすでに14歳。映画でも子役として大活躍していましたが、ちょび安のような男の子役はちょっときつくなってきていました。それでも他の子供たちをうまくまとめて、演じきっています。

大友柳太朗さんと長谷川裕見子さんのコンビは健在。長谷川さんのお藤の粋なこと。お鯉の方とは全く違った魅力です。

大岡越前守は月形龍之介さん。蒲生泰軒は大河内傳次郎さん。ベテラン2人が脇をがっちり固めて、画面を引き締めています。吉宗役の里見浩太朗さん、お若いですね。

我らが橋蔵さんの恋人役は今回は桜町弘子さん。大作がとんがり長屋で親しくなるのがお艶。おかげで弥生役の大川恵子さんはふられ役。今回も橋蔵さん、相変らずのモテモテぶりです。

 

正月作品らしく、悪党一味を退治した後は、宝を探しに長屋の住人を乗せた千石船は島へと出帆。59年のめでたい年明けとなりました。

 

(文責・古狸奈 2013520 初出


若さま侍捕物手帖 地獄の皿屋敷/べらんめえ活人剣

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「若さま侍捕物手帖前編 地獄の皿屋敷」
「若さま侍捕物手帖後編 べらんめえ活人剣」
                                      (1956225 東映京都作品)
  原作・城 昌幸 脚色・村松道平/西条照太郎
 監督・深田金之助


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  <配 役>
   若さま侍  …大川 橋蔵
   お い と …星 美智子
   遠州屋小吉 …星  十郎
   と ん 平 …横山エンタツ
   山岡隆之助 …東宮 秀樹
   山岡小百合 …長谷川裕見子
   お あ い …円山 栄子
   豊 五 郎 …原  健策
   横川出羽守 …加賀 邦男
 
ものがたり
 質屋布袋屋は二晩続けて賊に襲われたが、何も取られていないという。遠州屋小吉の注進で、若さまが事件解決に乗り出したところ、どうやら賊が狙っているのは山岡家に伝わる将軍家拝領の呉須の皿らしい。主人が病に倒れ、金に困った山岡家は皿を質入れしていたのだ。ところが横川出羽守を通じて、将軍家が皿を見たいと所望があり、山岡家が布袋屋に掛け合っているうちに、主人彦兵衛は頓死したという。
 彦兵衛は生きていると睨んだ若さまは森の中の隠れ家をつきとめたが、黒装束の一団に囲まれ、銃口が若さまを狙っている・・・(前編・地獄の皿屋敷)
 危機一髪、宗十郎頭巾に救われた若さま。若さまが事件の核心に迫るなか、今度は船宿「喜仙」のおいとがさらわれてしまう。・・・(後編・べらんめえ活人剣)
 
3作目ではまり役に抜擢
 のちに橋蔵さんの代表作となった「若さま侍捕物帖」シリーズ第1作作品です。前編『地獄の皿屋敷』(52分)、後編『べらんめえ活人剣』(56分)の2部構成で、前後編2本が同時上映されました。
 この時、橋蔵さんはデビューしたばかり。『笛吹若武者』、『旗本退屈男 謎の決闘状』の2作品に出演しただけで、早くも3作目ではまり役ともいうべき若さまに出会ったのでした。
 このことは東映の幹部がいかに橋蔵さんに期待を寄せていたかの表れともいえるでしょう。中村錦之助、東千代之介、伏見扇太郎に次ぐ第4の新人として、売り出しに力を入れていました。そしてまた、橋蔵さんはその期待に応えるように、急速に人気スターのトップへと上っていくのです。
 
嘱望されていた若手女形
 橋蔵さんの映画入りには随分と説得に時間がかかったようです。『笛吹若武者』で銀幕デビューを果たしたものの、1、2本試しに出演するといった具合で、正式に東映と契約したのはこのあとの『おしどり囃子』から。東映側では「絶対に成功させる」と口説いたようですが、橋蔵さんはなかなか映画入りの決心をつけられずにいたようです。慎重な性格もあったでしょうが、他のスターたちに比べて、将来を嘱望されていた歌舞伎界での立ち位置にあったのではないかと思います。
 
 ご存じのとおり、橋蔵さんは6代目菊五郎の養子として、薫陶を受け、当時すでに若手女形として頭角を現し、将来を期待されていました。無理に映画に行かなくても、歌舞伎界で十分活躍の場はありそうでした。
 現代でもそうですが、歌舞伎は親から子へ芸と名跡が引き継がれる慣例がのこされています。子供のころから歌舞伎の空気の中で育ち、団十郎の子は団十郎に、菊五郎の子は菊五郎に、と殆ど例外なく引き継がれていくのです。よくしたもので、若手のころは素質がなさそうにみえても、舞台の場数を踏むうちに立派な歌舞伎役者に大成していきます。
 逆に梨園の名門に生まれず、後盾のないものは一生大部屋俳優に甘んじなければなりません。戦前の映画スターの多くはそうした実力がありながらも役に恵まれない立場の役者さんたちでした。
 
 戦後、梨園の名門の出で、映画に移った俳優の中でも、橋蔵さんの立場は最高の位置にありました。尾上菊五郎という最高の名跡に一番近いところにいたのです。
 しかし、養父6代目が1949年(昭和24710日、帰らぬ人となり、橋蔵さんは強力な後盾を失ってしまったのです。6代目亡き後の菊五郎劇団で橋蔵さんは、女形として7代目尾上梅幸、7代目中村福助(のち芝翫)に次ぐ地位にいましたが、絶対的な後盾を失った痛手は大きいものだったと思います。東映のマキノ光雄製作部長の説得や市川雷蔵さんの勧めもあって、映画入りを決心したと伝えられています。
 
橋蔵若さま登場
 ところで、城昌幸原作の「若さま侍捕物帖」は橋蔵さんの若さま以前に、井上梅次脚本、中川信夫監督、黒川弥太郎さんの若さま、香川京子さんのおいとで、『謎の能面屋敷』(1950)、『呪いの人形師』(1951)が、また関西歌舞伎の坂東鶴之助さんの若さま、嵯峨美智子さんのおいとで、『江戸姿一番手柄』(1953 青柳信雄監督)、『恐怖の折鶴』(1953 並木鏡太郎監督)がいずれも新東宝で製作されています。
 黒川弥太郎さんの『謎の能面屋敷』では若さまは堀田左馬介という素性が明かされおり、坂東鶴之助さんの『江戸姿一番手柄』では若さまと歌舞伎役者の2役を演じているのが特徴でしょう。
 このように何人かのスターが演じた若さまでしたが、橋蔵さんの若さまが登場すると、若さま=橋蔵さんとなり、人気シリーズとして次々製作されていくようになったのです。
 
初期作品にみるアイドル橋蔵さん
 初期の「若さま侍」は深田金之助監督、橋蔵さんの若さま、星美智子さんのおいと、星十郎さんの遠州屋小吉のレギュラーで、『地獄の皿屋敷』、『べらんめえ活人剣』、『魔の死美人屋敷』、『深夜の死美人』の4本が製作されています。(『鮮血の晴着』は小沢茂弘監督)
 『鮮血の人魚』も深田金之助監督作品ですが、カラー作品で、舞台も江戸から離れているので、ここではとりあげませんが、前述の4作品はすべてモノクロで、「花の大江戸八百八町 おいら天下の若さまだ」の軽快なメロディーではじまる明るく楽しい捕物絵巻となっています。おいとが若さまに寄せる思いを挿入歌に合わせて演じる場面も定型化していますが、安心して見られます。
いずれも捕物の謎解きよりは若さまの活躍に重点が置かれています。橋蔵さんはまだ演技も立ち回りもおぼつかないのですが、ときどきハッとするような美しさが画面いっぱいに映し出され、アイドル橋蔵さんの魅力が満載です。
 
橋蔵さんは努力の人
橋蔵さんは立ち回りが好きだと語り、暇をみつけては、剣会のメンバーと一緒に殺陣の練習をしていたことが当時の雑誌などに書かれています。市川右太衛門さんのセットを見学して、早く豪快な立ち回りができるようになりたい、とも書いています。
橋蔵さんは努力の人なのだと、心底思います。天才型ではないけれど、日々努力して着実に進歩していく。1作ずつ、少しずつ努力を重ね、気がついたら、いつの間にか、華麗な立ち回りと、演技をものにしています。同じ「若さま」でも初期の作品と後期では歴然とした差があることは誰の目にも明らかでしょう。
 
橋蔵さんの若さまは他に考えられないほどの適役でした。甘さと気品、橋蔵さんのキャラクターが存分に生かされた最高の主人公でした。その後、橋蔵さんの出演作品はたとえ身なりが町人ややくざであっても、もともとは高貴な家の出という役回りがしばらく続くことになるのです。
 
(文責・古狸奈 201572
 

「水戸黄門」1957

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「水戸黄門」1957811 東映京都作品)
  原作・直木三十五 脚色・比佐芳武   監督・佐々木康

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  <配 役>
   水戸黄門   …月形龍之介
   佐々木助三郎 …東千代之介
   渥美格之進  …大川 橋蔵
   宇 之 吉  …中村錦之助
   野中主水   …大友柳太朗
   関根弥次郎  …市川右太衛門
   将軍綱吉   …片岡千恵蔵
    (その他東映オールスター)
 
ものがたり
 人間よりも犬が大事という「生類憐み」のお布令を意見して、将軍綱吉にやめさせた諸国漫遊中の水戸黄門は助さん、格さんをお供に江戸入り。そこで図らずも高田藩のお家騒動を知ることとなった。
 実子を藩主と養子縁組させ、お家乗っ取りを謀る筆頭家老小栗美作一派とそれを阻止しようとする二番家老萩田主馬と剣客弥次郎。助さん、格さんから情報を得た水戸黄門は早速事件解決に動き出すのだった・・・
 
お犬さまとお家騒動
 月形龍之介さんの映画生活38年を記念して製作された、東映京都撮影所の主演級スターが総出演する豪華作品です。東映スコープ。総天然色のタイトルも懐かしいイーストマン東映カラー。
 当時の映画は普通モノクロ。カラー作品はオールスターか、特別の作品に限られていました。カラーになった映画を初めて見たときの高揚感が忘れられないものとなっています。
 脚色は比佐芳武氏。歴史的史実を物語に組み入れる手法は見事で多くの作品を生み出しています。『水戸黄門』では「生類憐みの令」で、お犬さまに苦しめられる庶民の暮らしを見て、将軍を戒める前半と、高田家のお家騒動の解決を図る後半の2部構成となっています。越後高田藩のお家騒動も、家綱の時代、決着していたものを、綱吉が再審査したとされる話をもとにしていることは明らかです。当時の脚本家が1本の時代劇映画の基礎となる事象に関しての幅広い博識ぶりと、史実と虚構をうまく混ぜ合わせて物語を作り出す手腕に驚きます。
 
天皇と称された脚本家
 比佐芳武氏は190414日生まれ。マキノ正博監督の最も苦しんだ時期に協力した盟友といわれ、本名、武久猛。1931年のマキノ正博監督の『浪人太平記』でデビュー。1943年、『成吉思汗』を手がけています。
 戦後は1946年の『七つの顔』で復帰。その後は『任侠清水港』、『水戸黄門』(57)、『任侠東海道』、『旗本退屈男』(58)、『忠臣蔵 桜花の巻/菊花の巻』(59)『任侠中山道』(60)、など、東映オールスター作品のほとんどを脚色。橋蔵さんの出演作品では「草間の半次郎」シリーズの『喧嘩道中』(57)、『旅笠道中』(58)、『おしどり道中』(59)、『霧の中の渡り鳥』(60)の4作品のほか、『旗本退屈男 謎の決闘状』(55)、『大江戸七人衆』、『修羅八荒』、『若さま侍捕物帖 紅鶴屋敷』(58)、『恋山彦』(59)、『幕末の動乱』(60)、『赤い影法師』(61)、『血煙り笠』(62)、『人斬り笠』(64)、『任侠木曽鴉』、『バラケツ勝負』(65)など21作品に上っています。
 これだけの実力者ですから、撮影所内での影響力も強く、結束信二氏は「周囲は天皇と称して畏敬していた」と1986213日発行のキネマ旬報増刊『映画40年全記録』の中で記しています。東映時代劇の黄金時代を築いた立役者のひとりと言えるでしょう。19811217日、死去。
 
名君か犬公方か
 将軍綱吉を片岡千恵蔵さんが演じています。頭脳明晰な将軍として描かれていますが、この徳川綱吉ほど名君なのか、犬公方なのか実像のわかりにくい将軍もいないでしょう。
 基本的には文治政治を進め、治世の前半は善政を行い、「天和の治」と称えらえています。しかし、後半は側用人の柳沢吉保らを重用して、「生類憐みの令」をはじめとする悪政を行ったとして、評価が下がってしまいました。近年、歴史が見直されてきており、岬龍一郎氏は『日本人のDNAを創った20人』(育鵬社)で、「生類憐みの令」は、当時、病人や牛馬などを山野に捨てたりする風習があり、人はもとより馬などをも慈しむようにとのことから殺生を戒めたものとの見解を述べています。片岡千恵蔵さんはその説通りの名君ぶりを見せています。
 
黄門さまはやはり月形さん
 オールスター映画となると、スターたちのキャラクターに合わせた配役となり、似通った役回りが多くなっていきますが、それだけに楽しく安心してみられます。錦之助さんと千原しのぶさんのスリのコンビ。大友柳太朗さんと長谷川裕見子さん。呼吸もぴったりですね。橋蔵さんは格さん役で最後は槍での立ち回りを見せてくれました。
 
 月形龍之介さんの黄門さまはやはり貫録十分。テレビ映画の黄門さまがより庶民的だったのに比べ、気品と重厚さが漂い、今でも黄門さまは月形龍之介さんと思っている私です。
 
(文責・古狸奈 2015710

江戸三国志 第一部

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「江戸三国志」第一部1956524 東映京都作品)
   原作・吉川英治 脚色・八尋不二 監督・萩原 遼
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   <配 役>
    徳川万太郎 …大川 橋蔵
    相良 金吾 …伏見扇太郎
    今井 お蝶 …千原しのぶ
    丹頂のお粂 …喜多川千鶴
    日本左衛門 …月形龍之介
 
ものがたり
 江戸の盗人市。高価な伊太利サンゴの売り主、お蝶に目をつけた怪盗日本左衛門は、彼女の帰途、強請りにかかったが、尾張家三男坊、徳川万太郎に阻まれ失敗。お蝶を送り届けた相良金吾からお蝶はキリシタンゆかりの者と聞いた万太郎。家宝「出目洞白の鬼女の面」を見せ、面にまつわる話をしたその直後、面は日本左衛門に奪われてしまう。捜索を命じられた金吾は盗人市で面を見つけるが斬りつけられ、左衛門の情婦お粂に助けられる。
 一方、お蝶は父親から自分はローマ王族の後裔で秘宝「夜光の短刀」を探していると告げられる。父親は殺され、獄中の伴天連ヨハンから短刀の所在を示す聖書も伊兵衛に奪われてしまう。
 面の行方を追って、伊兵衛、左衛門、万太郎が激突。万太郎に左衛門の烈刀が迫る・・・
 
青春トリオの活躍
この『江戸三国志』は吉川英治の原作を、大川橋蔵、伏見扇太郎、千原しのぶの青春トリオが活躍する痛快時代劇。秘宝の面と短刀をめぐって、正邪が入り乱れ争奪戦をくりかえし、あと少しのところで悪者に取られてしまう。そのたびに観客はハラハラさせられる仕組み。
万太郎や相良金吾の正義に対し、日本左衛門や伊兵衛の悪といった善玉、悪玉もはっきりしていて、橋蔵さんの颯爽とした活躍ぶりが楽しめる作品です。
戦前、原作が発表されてすぐの1928年、『江戸三国志』第1部(31日)、第2部(55日)、第3部(83日)と、河部五郎、酒井半子の出演で、日活太秦撮影所版が製作されているようですが詳細は不明です。(『キネマ旬報』データベース)

 
健全な娯楽としての時代劇
戦後、復興したばかりの映画は『笛吹童子』や『紅孔雀』といった空想伝奇時代劇とでもいえそうな作品が多く作られました。離れ島や外国などの特殊な場面設定、妖術や奇想天外な秘術を操る登場人物、秘宝をめぐる争奪戦、主人公の颯爽としたヒーローぶり・・・観客は空想の世界に夢を馳せ、主人公の次々に降りかかる危難にハラハラし、颯爽とした活躍ぶりに喝采を浴びせました。それこそ時代劇映画は大人から子供までが楽しめる健全な娯楽だったのです。
この『江戸三国志』は徳川吉宗の頃と、時代背景ははっきりしていますが、秘宝探しやローマ王族の流れをくむ混血娘お蝶の登場など、天衣無縫ともいえる空想伝奇時代劇の流れをくむものといってよいと思います。
三つ葉葵の紋をつけた着流し姿で、江戸市中を歩く万太郎。若殿さまの髪型から次の瞬間には月代を伸ばした浪人姿・・・ちょっと考えるとおかしなところも多々あるのですが、黎明期の映画は製作する方も見る方も、細かいことは全然気にしないんですね。とにかく主人公が格好良くて、颯爽としていればそれでよし。正義の味方で勧善懲悪・・・
大人から子供まで楽しめ、時代劇映画が健全な娯楽だった時代の証しともいえる作品です。
 
混血娘お蝶
千原しのぶさん扮するキリシタンのお蝶は、ローマの王族の流れをくむ混血の娘。映画は白黒でわかりませんが、茶髪で縮れ毛。
海外旅行がまだ一般的でなかった時代、ローマへ旅立つお蝶は外国への憧れの象徴でもありました。
 
若さま侍と同じキャラクター
橋蔵さん映画出演6作目の『江戸三国志』の主人公、徳川万太郎は、尾張家のやんちゃな三男坊。身分が高く、剣がめっぽう強いのも若さまと同じ。橋蔵さんの気品と美しさがいやおうなしに引き出されています。
橋蔵さんは立ち回りが大好きで、暇があれば剣会のメンバーと練習に励むほど。撮影も立ち回りのある日はご機嫌。
ある日、刀を回して鞘にパチンと入れるのを教わった橋蔵さん、撮影の合い間に刀をクルリ、パチン、クルリ、パチンとやってご満悦。女優陣にも披露して大はしゃぎ。それを扇太郎さんにまで見せたものだから相手が悪い。「橋蔵さん、お年の割に無邪気ですね」と言われてがっくり。
そのとき橋蔵さんは27歳。年齢の割にかどうかは別にして、そんな無邪気な時代もあったのですね。
 
半年前に第4の新人として映画界入りした橋蔵さん、1作ごとに人気は急上昇。デビュー6作目でブロマイドの売れ行きが5本の指に入っていたといいますから、驚きですね。
 
            (文責・古狸奈 2010610 初出

江戸三国志 疾風篇

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「江戸三国志」疾風篇195661 東映京都作品)
   原作・吉川英治 脚色・八尋不二 監督・萩原 遼


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   <配 役>
    徳川万太郎 …大川 橋蔵
    相良 金吾 …伏見扇太郎
    今井 お蝶 …千原しのぶ
    丹頂のお粂 …喜多川千鶴
    千蛾 老人 …明石  潮
    娘  月江 …円山 栄子
    日本左衛門 …月形龍之介
 
ものがたり
 人気のない熱海海岸で、漁師に襲われた娘月江を助けた尾張家の用人、善右衛門は金吾を発見し、不覚を恥じる彼を叱り励ました。面は巡りめぐって狛家の当主、千蛾老人に渡り、やがて左衛門へ。
 8代将軍吉宗から鬼女の面を見たいと所望され、尾張家は苦境に。万太郎は再び左衛門一味と対決。万太郎に左衛門一味の輪がじりじりと迫ってくるのだった。
 
物語はさらに複雑に
 「疾風篇」から明石潮さんの千蛾老人と円山栄子さんの月江が登場します。
 話はますます複雑になり、面は次々と人の手に渡っていきます。
 金吾を助けたお粂は左衛門の情婦でありながら、金吾を慕うようになり、物語に色を添えています。
 橋蔵さんは浪人姿で登場。くだけた姿が魅力的です。
 
貫禄充分、月形さんの日本左衛門
 いったいどうしてわかるのか、肝心な時に現れて邪魔をする日本左衛門。月形龍之介さんの日本左衛門は貫禄充分。青春トリオに相対する月形さんの存在が映画全体をリードし、この作品を引き締めています。
橋蔵さんの美剣士ぶりも月形さんあってと言えそうです。
 
東映を再起させた萩原監督
ところで監督の萩原遼氏は1910年、大阪西区生まれ。本名、陣蔵。当時、日本の租借地だった遼東半島大連に日本が建てた関東州立大連第一中学校を卒業。1930年(昭和5)、20歳のころマキノ・プロダクション。その後、日活京都撮影所に入社。助監督として師事した山中貞雄とともに、脚本家の八尋不二、三村伸太郎、藤井滋司、監督の滝沢英輔、稲垣浩、鈴木桃作による脚本集団「鳴滝会」に最年少で参加。共同ペンネーム「梶原金八」として執筆を始めました。折しもサイレント映画からトーキーへの移行期でした。
助監督、あるいは「梶原金八」メンバーとして、『丹下左膳余話 百万両の壺』、『関の弥太ッぺ』を手がけ、1936年(昭和11)、山中原作、萩原脚本による『お茶づけ侍』で監督デビュー。『荒木又右衛門』、『修羅山彦』、『森の石松』、『その前夜』などの監督をつとめています。
戦後第1作は1946年(昭和21)、長谷川一夫主演の『霧の世ばなし』。大河内傅次郎主演『大江戸の鬼』、松田定次監督、片岡千恵蔵主演の『獄門島』ではチーフ助監督として参加しています。
東映で監督に復帰してからは、『笛吹童子』、『紅孔雀』などを手がけ、東映の再起に大いに貢献しました。橋蔵さんの出演作品では、『江戸三国志』、『ふり袖太平記』(56)、『修羅時鳥』、『緋ぼたん肌』、『ふり袖太鼓』(57)があります。
東映を離れてからは三波春夫主演『千両鴉』(61)、安藤昇主演『やくざ非情史 血の決着』など。
1976年(昭和5143日、東京で死去。享年65。(ウィキペディア)
 
萩原監督は戦前は師と仰ぐ山中貞雄監督のもとで、チーフ助監督、脚本家として名作にかかわり、戦後は東映にあって、娯楽映画を数多く製作しました。倒産寸前の東映をトップの映画会社に躍進させた功労者のひとりといっていいでしょう。
 
                (文責・古狸奈 2010610 初出 
2015・8・9 補足)

江戸三国志 完結迅雷篇

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「江戸三国志」完結迅雷篇195668 東映京都作品)
   原作・吉川英治 脚色・八尋不二 監督・萩原 遼


   <配 役>
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    徳川万太郎 …大川 橋蔵
    相良 金吾 …伏見扇太郎
    今井 お蝶 …千原しのぶ
    丹頂のお粂 …喜多川千鶴
千蛾 老人 …明石  潮
    娘  月江 …円山 栄子
日本左衛門 …月形龍之介
 
ものがたり
 お粂に急を知らされた金吾と捕方の救援で、事なきを得た万太郎は、自害したお粂から面の所在を知り、左衛門から面を取り戻した。
 一方、短刀については、千蛾老人から捜索図を与えられたが、またもや押し入ってきた左衛門に捜索図の一片を奪われてしまう。
 捜索図は江戸城中を指していた。吉宗の許しを得た万太郎らの探索が始まる。江戸城中といえども意に介さない左衛門は反対側から探索の手をのばしていた。
 お蝶もまた左衛門から捜索図を盗み取り、万太郎に渡そうと城内に潜伏する。
 ついに、短刀の所在を探り当てた万太郎は追ってきた左衛門をたおし、夜光の短刀をお蝶に与え、父の国ローマへ向かう船上のお蝶を見送るのだった。
 
いよいよ佳境に
 物語はいよいよクライマックス。面を取り戻し、次は短刀のありか探し。
 夜光の短刀があるという江戸城中の撮影は二条城で行なわれました。
 青春トリオはロケ撮影に大はしゃぎ。かけっこをしたり、若さを発散。実際、千原しのぶさんは走るのが得意だったようで、撮影がはじまると駆けるのが早く、カメラアングルからすぐにはみだしてしまったのだとか。
 石垣の上に立つ橋蔵さんや扇太郎さんのところまで、太陽の反射光が届かず、直接ライトを当てるようにしたそうですが、まともに顔に当てると眩しくなるので、ライトの当て方にも一苦労。昔の映画撮影は人知れぬ苦労があったのですね。
 この二条城の映像、植え込みなども少なく、現在に比べると実に殺風景。戦後10年しか経っていない当時は、史跡の整備まで手が届かなかったことがうかがえます。
 
船上のお蝶と見送る万太郎
 白浜で撮影されたローマ行きの船の上で、千原しのぶさん、「お蝶はどうやってローマ語を覚えたのかしら」と心配することしきり。千原さんって苦労性?とはそれを聞いたスタッフの弁。
 船上のお蝶を見送る万太郎の凛々しいこと。砂浜の松林を背景に、橋蔵さんがアップで映し出されたとたん、スクリーン全体が華やいで大物スターの存在感・・・
当時の橋蔵さんは、映画俳優としてはスタートラインに立ったばかりでした。映画を見た誰しもが、スクリーンに漂う天性のスターが持つオーラを感じ、橋蔵さんの輝ける未来を確信したにちがいありません。
 
            (文責・古狸奈 2010610 初出

若さま侍捕物帖 紅鶴屋敷

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「若さま侍捕物帖 紅鶴屋敷」19581215 東映京都作品)
  原作・城昌幸 脚本・比佐芳武、鷹沢和善
    監督・沢島忠


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 <配 役>
  若さま   …大川 橋蔵
  遠州屋小吉 …沢村宗之助
  お千代   …桜町 弘子
  おいと   …花園ひろみ
  覚全和尚  …月形龍之介
 
ものがたり
粋な着流しに懐手、海辺の鄙びた漁村にやってきた若さま。その昔、三国一の花婿を得たいと折った千羽の紅鶴が不気味に揺れる紅鶴屋敷。その屋敷に伝わるという五千両の小判をめぐって起きる連続殺人事件。粋でいなせな若さまの名推理! 死を招く紅鶴の謎。風の如き黒い影に挑むは秘剣一文字崩し!
 
本格的スリラー時代劇
この『紅鶴屋敷』はご存知大川橋蔵さんの人気シリーズ『若さま侍捕物帖』の7番手柄。14ヵ月ぶりの登場です。
これまでの『若さま侍』は犯人探しの推理的要素よりも、若さまの颯爽とした活躍ぶりが主で、謎解きの面白さは二の次となっていました。
しかし、この作品では「若さま」シリーズで初めてメガホンをとる新鋭沢島忠監督が、現代劇スリラーと時代劇スリラーの調和を課題に、新しい時代劇の本格的なスリラー映画を目指した野心作です。
言ってみれば、事件が主役で若さまが脇役の新しい形の本格的推理時代劇『若さま侍捕物帖』の誕生でした。
不気味に揺れる紅鶴の妖気をはらむ紅鶴屋敷、出没する黒い影、死体に置かれた紅鶴の謎、最後まで犯人がわからない緊張感・・・そしてどんでん返し。
本格的スリラー時代劇の謎解きの面白さを満喫させてくれる作品です。
今回は星美智子さんに代わって花園ひろみさんがおいと役で登場、桜町弘子さんのお千代の語りで物語が進められていきます。
 
才人・沢島監督
監督の沢島忠氏は1926519日、滋賀県愛知郡生まれ。78年に監督としての名前を「正継」と改名しています。
同志社外事専門学校を卒業後、劇団の演出助手を経て、50年、東映の前身・東横映画撮影所に入社。マキノ雅弘、渡辺邦男、萩原遼らの助監督を務め、57年、『忍術御前試合』を10日間で撮り上げ、監督昇進テストに合格。正規の監督となってからは、時代劇の世界に若々しい風を起こした才人として評価され、多作でも質を落とさない律儀さと技量でめざましい活躍を続けました。
特に錦之助さんやひばりさんの主演作品を多く手がけ、「一心太助」シリーズが評判を呼びました。チャンバラ映画の歴史に一時代を画し、「東の今村(昌平)、西の沢島」と称されました。
橋蔵さんの作品では、『若君千両傘』、『若さま侍捕物帖 紅鶴屋敷』(58)、『海賊八幡船』(60)、『富士に立つ若武者』、『若さま侍捕物帖 黒い椿』(61)、『美男の顔役』(62)を監督しています。
映画が斜陽になってからは商業演劇の脚本・演出の分野で活躍しています。

2014年に刊行された川本三郎・筒井清忠両氏の対談形式の著『日本映画隠れた名作 昭和30年代前後』(中央公論新社)の「沢島忠」の項で、「沢島氏は時代劇の骨法を知り尽くした上で、新しい感覚でひばり、錦之助を生かし切った」、「テンポがよく、飽きることがない」、「お客さんあっての映画であることをわきまえ、製作していた」と沢島氏の力量を高く評価し、「当時は評論家の間でも、娯楽作品をきちんと見ようとする思いが欠けていた」と軽んじられた当時の風潮に思いを馳せています。

脚本の鷹沢和善は沢島夫妻のペンネームで、多くの作品を脚本から製作しています。
 
撮影のほとんどがロケ
今回の事件の舞台は江戸を離れて、とある鄙びた漁村。
撮影は琵琶湖北岸近江舞子で行なわれました。近江八景のひとつで雄松の松林に囲まれた紅鶴屋敷は、近江舞子ホテル本館が使われました。庭が荒れると断られたのを、お百度踏んで頼み込んだと伝えられています。現在、ホテルは営業していませんが、松林は健在。若さまが釣りをし、海中に突き落とされる桟橋も映画の場面そのままに残っています。
この撮影、ほとんどがロケで行われたというのも異色。沢島監督作品には琵琶湖周辺での撮影が多いのですが、滋賀県出身だった監督の頭の中には琵琶湖近辺の景色がはっきりと描き出されていたということなのでしょう。
 
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粋な着流し姿と殺陣の美しさ
 若さまの着流し姿。粋で艶やかで、何ともいえぬ色気と気品。その着こなしも見どころのひとつです。
 次に立ち回り。43作目となった『紅鶴屋敷』では、立ち回りも上達し、若さまの華麗な太刀さばきが随所に見られます。
 
では、美しいと定評のある橋蔵さんの立ち回り。いったいどこに秘密が隠されているのでしょう。
まず、太刀さばき。スピーディな刀の動きも見事ですが、よく見ると、ほとんどの場合、刀を持つ手元に左手が添えられているのに気づきます。たとえ左手が離れることがあっても、刀を振り下ろす瞬間は必ずと言ってよいほど両手で決めています。剣の先から両腕を通して肩まで、一直線のラインが強調され、より美しく見えるように思います。
多くの場合、片手だけでの立ち回りは、左腕と袖がブラブラして、何とも見苦しく、颯爽とした感じにはなりません。
次に足さばき。ツツツーと横に走るときの足さばきや裾さばきの見事さ。腰も決まっていて安定感があります。
このような橋蔵さんの華麗な立ち回りは、舞踊の素養があってこそのものでしょう。
 
立ち回りは舞踊
ところで、私は時代劇映画の立ち回りは舞踊だと考えています。歌舞伎の様式美に通じる型の世界です。
舞台では、斬られたら邪魔にならないよう、舞台の袖に消えるのが約束事。死体がなくても、返り血を浴びなくても、観客はすべての約束事を理解した上で、舞台を見ているので問題はないのです。
最近はリアルな表現を好む傾向があり、立ち回りなどもリアルさを追うあまり、醜悪な映像表現が多くなっているように思います。血が噴き出したり、内臓が飛び出すような、これでもかと言わんばかりの、どぎつい刺激的な映像まで、映し出す必要はないように思います。画面に気品がなくなります。
 
歌舞伎に型があるように、時代劇映画の立ち回りにも、型や約束事があってもいいのではないでしょうか。立ち回りは結局は人殺しの場面だからです。決闘の場面にいくまでの登場人物の悲しみや怒り、正義感、義理人情といった立場や心情が充分に描かれていれば、立ち回りは型や、象徴的に描くという映像表現でよいように思います。殺戮場面のリアルさや醜悪さを表現することが、映画芸術と考えているとしたら、大きな間違いのように私には思えるのです。
57年ごろの雑誌に「橋蔵さんの立ち回りは型にはまっているので、リアルにやった方がいい」といった記事がありました。それも一理ありますが、リアルっぽい立ち回りは誰にでも出来るけれど、華麗な立ち回りは修練が必要で、誰にでもというわけにはいかないような気がします。
 
『紅鶴屋敷』では秘剣一文字崩しのほか、二刀流も登場します。
若さまの華麗な立ち回りをお楽しみください。
 
        (文責・古狸奈 201591


任侠清水港

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「任侠清水港」195713 東映京都作品)
  脚本・比佐芳武  監督・松田定次
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  <配 役>
   清水次郎長   …片岡千恵蔵
   森の石松    …中村錦之助
   追分の三五郎  …大川 橋蔵
   小松村の七五郎 …東千代之介
   お し の   …高千穂ひづる
   お た み   …千原しのぶ
   お   蝶   …花柳 小菊
   増川の仙右衛門 …伏見扇太郎
   巾下の長兵衛  …大友柳太朗
   大前田英五郎  …市川右太衛門
    (その他東映オールスター)
 
ものがたり
万松寺の住職を斬り200両を奪った上、親分の森の五郎を殺して逃げた山梨の周太郎。子分石松の縁から周太郎を追う次郎長は周太郎の逃亡を助けた猿屋勘助を斬り、兇状旅に出るのだった。
兇状旅の途次、巾下の長兵衛に貧しいながらも手厚いもてなしを受ける次郎長一家。だが一行が旅立った後、長兵衛は久六一味に惨殺されてしまう。
久六を叩ッ斬った次郎長に黒駒の勝蔵から果し状が突きつけられる。場所は富士川千畳河原。仲裁に乗り込んだ大前田英五郎に刀を使わぬのが無上の剣術と諭され、次郎長は戦わずに引き上げるのだった。
次郎長は愛刀を讃岐の金毘羅に奉納させようと、石松を向かわせ、信仰と田畑の開墾に毎日を送っていたのだが・・・
 
初のオールスター作品
1957年の正月作品として製作された『任侠清水港』は東映の主演級スターが勢ぞろいする初のオールスター作品です。片岡千恵蔵、市川右太衛門の両御大を筆頭に、大友柳太朗、中村錦之助、大川橋蔵、東千代之介、伏見扇太郎と若手トップスターが登場する贅沢な配役が話題を呼びました。

その後、オールスター作品は62年を除き、主に正月とお盆の年2回、製作されるようになり、『水戸黄門』(578)、『任侠東海道』(581)、『旗本退屈男』(588)、『忠臣蔵桜花の巻 菊花の巻』(591)、『水戸黄門 天下の副将軍』(597)、『任侠中山道』(601)、『水戸黄門』(608)、『赤穂浪士』(613)、『勢揃い東海道』(631)までほぼ恒例化して公開されました。
 
全篇カラーの力作
この『任侠清水港』は脚本・比佐芳武氏、監督・松田定次氏と当時最強のコンビ。モノクロが主流だった時代に、全篇カラーという画期的なもの。会社の力の入れようが分かろうというものです。

物語は博徒でありながら、のちに静岡茶の販路拡大、蒸気船の入港できる港湾整備、定期航路船経営、田畑の開墾、英語教育の後援まで手がけたという清水の次郎長こと山本長五郎が主人公。映画は、「若くして遊侠無頼の群に投じ、海道一の親分と謳われた次郎長が暴力否定こそ真の任侠の道であると悟るに至る精神転換の一断面を描く」とありますが、戦後、時代劇や仇討ものが禁止され、解除された当時の状況から、それらは検閲を考慮して掲げられたテーマということでしょう。堅苦しく考えず、気楽に楽しんで観ればよいと思います。
山梨の周太郎を倒して兇状旅に出、富士川の千畳河原で大前田英五郎に諭されるまでの前半とお馴染み「森の石松金毘羅代参」の後半の2部構成。従って、次郎長の片岡千恵蔵さんに次いで、森の石松役の中村錦之助さんが重要な役回りを担っています。閻魔堂前での石松の凄絶な立ち回り。後半の大きな山場となっています。

意外なのは冒頭のタイトルに、大前田英五郎役の市川右太衛門さんの名前が最初に出てくること。次郎長一家の物語なのに、富士川の場面しか出てこない右太衛門さんの扱いが上なのです。スターシステムをとり、俳優の序列に神経を尖らせていた会社側の苦肉の策といえそうです。
 
東映を背負う二大スターの予見
橋蔵さんは追分の三五郎役で出演しています。第4の新人としてデビューし、18作目で初のオールスター作品。たった1年の間に人気急上昇の橋蔵さん、新人としては出番も多く、三五郎を初々しく爽やかに演じています。

石松があとからやって来た三五郎におしのの様子を訊ねる場面。橋蔵さんと錦之助さんの初めての本格的な共演でした。錦之助さんの剛と橋蔵さんの柔、対照的な二人のスターがのちに東映を支える2本の柱となることを予見した場面でした。やがて興行的に大切な時期、正月とお盆を飾る作品に、オールスター映画に代わるものとして、それぞれの主演作品が掛けられるようになっていきました。

錦之助さんの石松に対する三五郎の橋蔵さんの受け身の演技。この場面を見るたびに雑誌の対談で語られていた橋蔵さんの言葉を思い出します。「女形は立役を立てるように仕込まれていて、決して無理強いはしないもの」なのだと・・・
この『任侠清水港』ではまだ新人ということもありますが、橋蔵さんは「受けて立つ演技をする役者」ということなのでしょう。その本質は終生変わらなかったように思います。オールスター作品では、多くは攻めの演技で、強烈な魅力や個性を振りまくスターたちの中で、橋蔵さんの受け身の演技は、ファンとしてはもどかしい感じがしないでもありませんでした。
しかし、共演者を立て、肝心なところを押さえる控えめな演技が、のちに『銭形平次』を18年もの長寿番組にできた最大の理由ではないかと、最近になって思うのです。主役でありながら、でしゃばりすぎず、周囲に溶け込んでいることで、観る者に安らぎを感じさせていたのだということも・・・
 
面白さの決め手悪役
ところで、東映時代劇の面白さは悪役を演じられる役者の層の厚さでしょう。この作品においても、小沢栄太郎、進藤英太郎、山形勲、月形龍之介と、憎っくき悪役が勢揃い。いずれも善悪どちらもこなせる芸達者な方々。特に悪役となるとこれ以上の悪人はいないという極悪ぶりです。それが東映時代劇を面白くさせている最大の理由でしょう。

最近の時代劇の低迷ぶりについて、春日太一氏は『なぜ時代劇は滅びるのか』(2014 新潮社)の中で、「時代劇はファンタジー」で、空想をはばたかせることのできるエンターテインメントの表現手段だと記しています。
「人気者は芝居が下手、いい悪役がいなくなった」と嘆く春日氏。時代劇はいくらでも面白くできるのに、やたら理屈っぽくなり、時代考証に縛られ、悪人にもそれなりの理由づけを描こうとするため、間延びしたものとなっている、と指摘しています。
実際、最近の時代劇を見るくらいなら、名画座に行って、昔の時代劇を見る方がはるかに面白いという現実はさびしいものを感じます。
 
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水もしたたる男振り?
お蝶の病気快癒を願って、滝に打たれる橋蔵さんと扇太郎さん。
『清水港』の撮影が決まり、原健策さんに挨拶すると「今度は滝に打たれる場面がある。これから寒くなるというのに、辛いなあ」と辛そうな顔。てっきり原健策さん、お気の毒、と思った橋蔵さん。よくよく台本を読んだら、滝に打たれるのは三五郎と仙右衛門。
橋蔵さんは先の『朱鞘罷り通る』の雨のシーンで、喜多川さんと4時間ずぶぬれになったばかり。
場所は枚方市の郊外、源氏の滝。思い切って入ると、寒いというより、痛いといった感じだけ。時折混じって落ちるらしく、頭や肩にコツンコツンと小石が当たる。3カット、約30分。体はガクガク唇は動かない。助監督さんが「滝から出てきたときは大川さん、水もしたたる男振りでした」と憎らしい一言。(『とみい』昭和3112月号 「吉乃だより」)

その後も『くれない権八』の川渡り、『新吾十番勝負 第1部』の頼方の寒中水泳と、橋蔵さんの寒い時期の水難は続いたようです。仕事とはいえ俳優さんも大変ですね。
(文責・古狸奈 2015927

若さま侍捕物帖 鮮血の晴着

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「若さま侍捕物帖 鮮血の晴着」195734 東映京都作品)
  原作・城昌幸 脚色・松本憲昌 
    監督・小沢茂弘

  <配 役>
   若 さ ま   …大川 橋蔵
   お い と   …星 美智子
   遠州屋小吉   …星  十郎
   おしゅん    …浦里はるみ
   阿波屋六左衛門 …徳大寺 伸
   露       …三笠 博子
   白坂源二郎   …片岡栄二郎
   矢代将監    …薄田 研二

 

ものがたり

 強盗団が暗躍する江戸の町。
そんなある日、古寺で鮮血に染まった花嫁衣装を手に、質商阿波屋六左衛門が殺されていた。阿波屋の店先をうろつく若侍。六左衛門には料理屋春月を営むおしゅんという女がいた・・・
 

捕物帖の醍醐味

橋蔵さんの「若さま侍捕物帖」シリーズ4作目の作品です。城昌幸の原作『五月雨ごろし』より村松道平氏が構成、松本憲昌氏が脚色、小沢茂弘監督で製作されました。
「若さま」シリーズ初期作品のほとんどが深田金之助さんのメガホンで撮影されましたが、この『鮮血の晴着』は小沢茂弘監督となっています。深田作品とは違い、決まって流れていた冒頭の主題歌もなく、事件を追う展開で物語は進められていきます。推理する捕物帖としての醍醐味もあり、楽しめる作品です。
デビューしてから22作品目。1年と少し。橋蔵さんも映画にも少しずつ慣れてきたようで、若さまぶりも板についてきました。モノクロ映画ですが、この当時の橋蔵さんの若さと気品ある美しさは際立っていて、それだけで見る者に、橋蔵さん以外に若さまはいない、と感じさせるほどぴったりのはまり役だったといえるでしょう。

 

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橋蔵さんが描く若さま像
それでも橋蔵さんは若さまの役作りについて、『とみい』32年2月号で自らの考えを述べています。
原作者城昌幸氏が若さまについて、その像を「気品があり、与力佐々島俊蔵が若さまの身の安穏を心しているので身分の高い人であるのがわかる。三葉葵の紋所で、将軍家ゆかりの人なのだろう。あとは想像におまかせ。酒好きでアル中気味。行儀も悪い」としているのに対し、橋蔵さんは「酒は大好きだが、崩れた感じは避け、御殿育ちの鷹揚さと、江戸っ子的な庶民性。台所を覗いたりする稚気あふれる明朗性」のある若さまにしたいと記しています。酒を呑みながら思案する気品と庶民性を併せ持つ若さまを創りだしました。
 

娯楽性と早撮りの巨匠

 ところで、小沢茂弘監督は1922829日、長野県生まれ。本名茂美(しげよし)。長野県立松本中学を経て、日本大学専門部芸術科映画科を4312月に卒業し、学徒出陣。
 終戦後、マキノ正博(のち雅弘)松竹京都撮影所所長の知遇を得て同演出部に入社。その後、東横映画京都撮影所に移り、『笛吹童子』の助監督をつとめています。
 54年、監督試験に合格し『野ざらし姫 追撃の三十騎』から76年の『女必殺五段拳』までの20年間で約110本の作品を手がけました。
 小沢監督は東映時代劇、任侠映画の巨匠と位置付けられていますが、同じ任侠映画の巨匠として知られる山下耕作監督が芸術面での評価を獲得したのに対し、徹底的な娯楽性を追求した職人監督でした。師事したマキノ雅弘監督が約65年で293本の映画を残したのと同様、「早撮り」で知られ、共に質の高い娯楽作品を多く残しています。
 橋蔵さんの出演作では『復讐侠艶録』(56)、『若さま侍捕物帖 鮮血の晴着』(57)、『新吾十番勝負 第2部』(59)、『赤い影法師』、『右門捕物帖 南蛮鮫』(61)、『用心棒市場』(63)などがあります。なかでも『新吾十番勝負 第2部』は現在『12部総集編』でしか残っていないため、全編が見られないのが残念です。

 任侠路線に転じてからは鶴田浩二さんや藤純子さんの出演作、『博徒』(64)、『緋牡丹博徒』(69)、『日本侠客伝』(71)などを手がけました。68年の『人間魚雷・あゝ回転特別攻撃隊』で京都市民映画賞監督賞を受賞しています。
 全盛期には高い観客動員力で「小沢天皇」と称されるほどの権勢を持っていました。シナリオが意に沿わないものだと「チートモ面白ないわ!」と脚本家を震え上がらせました。それが原因か、衰退期になると岡田茂社長に嫌われ、76年に東映を追放されています。その後は占い師に転業。小沢占命塾塾頭・小沢宏瑞として活動。20041012日、リンパ腫によって死去。享年82
著書に『困った奴ちゃ―東映ヤクザ監督の波乱万丈』(高橋聡との共著 1996年 ワイズ出版)があります。(ウィキペディア、MIXIコミュニティ他)
 

ひばりさん「塩酸事件」

この『鮮血の晴着』が撮影される前、新春早々の浅草国際劇場で、熱烈なひばりファンがひばりさんに塩酸をかけるという「塩酸事件」が起こっています。今でいうストーカー事件というものでしょう。可愛さ余って憎さ百倍、ひばりさんへの執着が事件を引き起こしたようでした。
この時、共演していた橋蔵さんの付人の西村さんが巻き添えになりました。心配する橋蔵ファンに対して、橋蔵さんは西村さんの奇禍の無事と感謝を『とみい』誌上に載せています。
当時、私はラジオでひばりさんの「塩酸事件」を聞き、衝撃を受けたものでした。でも、橋蔵さんが共演していることなど露も知りませんでした。次の作品『若さま侍捕物帖 深夜の死美人』で私は初めて橋蔵さんに出会ったからです。
事件はともかく、国際劇場の舞台を見た人によると、「夢をみているような美しい舞台だった」とか。夢の中でいいから、見てみたいものですね。

 

(文責・古狸奈 20151020

曽我兄弟 富士の夜襲

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「曽我兄弟 富士の夜襲」19561017 東映京都作品)

原案・五都宮章人 脚本・八尋不二 監督・佐々木康

<配 役>

 曽我十郎祐成 …東千代之介

 曽我五郎時致 …中村錦之助

 大磯の虎   …高千穂ひづる

 化粧坂少将  …三笠 博子

 満  江   …花柳 小菊

 梶原景時   …大川 橋蔵

 畠山重忠   …大友柳太朗

 工藤祐経   …月形龍之介

 源 頼朝   …片岡千恵蔵

 

ものがたり

 頼朝の世、一万、箱王の父、河津三郎祐泰は工藤祐経の手にかかり、非業の死を遂げた。

 祐経の讒言で、一万、箱王の幼い兄弟に由比ガ浜で処刑の断が下されたが、畠山重忠の助命嘆願によって救われ、箱王は箱根の寺に送られた。

 それから12年、成人した十郎と五郎は、工藤祐経が富士に狩に来ることを知り、復讐を誓うのだった。雨の夜、ついに2人は決行、18年の怨敵を討つことができたが、十郎は自刃、五郎は捕らえられる。

 裁きの場で、五郎は今までの思いのたけを述べ、頼朝も兄弟の孝心に心を動かすのだった。

 

3大仇討ち物語

 「曽我兄弟」は「忠臣蔵」「伊賀越」と並んで、3大仇討ち物語のひとつで、映画や歌舞伎など、数多く上演されてきました。

 沈着冷静な兄の十郎と向こう見ずで乱暴者の五郎、全く正反対の兄弟が父親の仇を討つことを悲願に、長い年月を堪え忍び、本懐を遂げる物語は日本人好みのひとつといえるでしょう。特に対照的な兄弟のキャラクターが登場人物像に広がりを持たせ、物語の展開をより多様にさせています。

 豪快な錦之助さんと沈着な千代之介さん・・・「曽我兄弟」は対照的な2人の個性をより明確に引き出している作品といえそうです。

 

橋蔵さんの梶原景時

 この作品で橋蔵さんは梶原景時役で登場。一万、箱王兄弟を鎌倉に連れ戻し、由比ガ浜での処刑に立ちあう役。兄弟を助けたいと思いながら、自らの力ではできず、朗報を待ちわびます。助命嘆願が叶ったことを知り、パッと明るくなる橋蔵さんの笑顔が印象的です。

 この映画は曽我兄弟が中心の物語ですから、残念ながら橋蔵さんの梶原景時は10分程度しか登場しません。あまりに登場時間が短くて、ファンとしては物足りないことこの上なし。

 当時、錦之助さん、千代之介さんはすでにトップスターとしての地位を確立していました。2人の共演作品も次々と製作されていて、「曽我兄弟」もそうした作品のひとつ。

 それに対して橋蔵さんは人気急上昇といってもまだ新人。「最初の1年はとにかく名前を知ってもらうこと」と、役にはこだわらず、つとめて映画に出るようにしていたようです。

 主演でないのは残念ですが、仮に橋蔵さんが曽我兄弟を演じたとしたら、どうだったでしょう。十郎は華がありすぎ、五郎は気品と甘さが邪魔をしそう。となると、梶原景時役が一番橋蔵さんらしかったのかもしれません。主命を帯びて、兄弟を迎えに行く景時の鎌倉武者ぶりは、堂々として威厳に満ちていました。

 

カラー時代到来

 この「曽我兄弟」は昭和31年度芸術祭参加作品と銘打って、イーストマンカラーで製作されました。白黒映画時代からカラー映画時代への到来を告げる作品でした。

 配役もセミオールスターとでもいえるような、片岡千恵蔵、大友柳太朗、月形龍之介さんらが若手を盛りたて、豪華なものとなっています。まだ10代の北大路欣也さんも出演しています。助命嘆願したり、それとなく兄弟の窮地を救う、大友柳太朗さんの格好のいいこと。演じていてさぞかし気持ちよかったでしょうね。

 高千穂ひづるさんの大磯の虎の度胸のいい女っぷり。花柳小菊さんは子どもへの思いと婚家への義理とに揺れる母親役を好演。芯の強さと優しさ、気品あふれる姿が素敵です。

 

                    (文責・古狸奈 2010629 初出

「若さま侍捕物帖 深夜の死美人」

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「若さま侍捕物帖 深夜の死美人195742 東映京都作品)

原作・城昌幸(東京文芸社刊「だんまり闇」) 脚色・村松道平 

監督・深田金之助

<配 役>

若さま    …大川 橋蔵

おいと    …星 美智子

遠州屋小吉  …星  十郎

おゆみ    …浦里はるみ

棟梁政五郎  …加藤  嘉

金正重右衛門 …薄田 研二

森田市郎兵衛 …阿部九州男

 

ものがたり

花のお江戸は春祭り。だが、一夜明ければ殺人事件の恐怖が・・・大工の棟梁政五郎、おあい、おさとと続く連続殺人事件。事件は意外に複雑で、遠州屋小吉はついに若さまにお知恵拝借。

一方、もの好きにも巾着切りのおゆみを救ったことから、事件にかかわっていく若さま。

若さまの謎解きと神道流一文字崩しが事件を解決していく。

 
若さま=橋蔵さん

この『深夜の死美人』は若さま侍捕物帖シリーズ第5作目。橋蔵さんが195512月に、『笛吹若武者』で映画デビューしてから1年4ヵ月、すでに23本目の映画出演となっています。

デビュー当時の橋蔵さんは「とにかく名前を知ってもらうこと」と、作品の選り好みはせず、何でもやるという姿勢で臨まれたようですが、それにしてもすごい数、1月で1.52本のペースですから驚きです。そうした努力のかいがあってか、人気も急上昇、このときすでにトップに躍り出ていました。

橋蔵さんの初期の作品は持ち味ともいえる美貌と気品をいかした、本当は身分が高いが、わけあって市井で暮らすといった役どころが多く、なかでも「若さま侍」はその極めつけとでもいえるでしょう。橋蔵さん以前にも黒川弥太郎さんや他の俳優さんで映画化されていますが、橋蔵さんの若さまの登場で、若さま=橋蔵さんという図式が出来上がってしまいました。

 
橋蔵さんとの出会い

この『深夜の死美人』は私が橋蔵さんに出会った記念すべき作品。

忘れもしません。おませないとこに誘われて子どもだけで見に行った映画館。今にして思えば『修羅時鳥』のしおりに、当時急成長していた東映が縦1、横2.38の大型スクリーンの上映計画を進めていて、「4月には大型スクリ-ン対応館を300館開業」とありますから、私が住んでいた街にも東映直属館がオープンした時だったのかもしれません。

橋蔵さんを一目見て、世の中にこんなに美しい男の人がいたのか、という驚き。すっかり魅せられてしまい、以来、封切りされるたびに映画館通いをするようになったのです。

映画を見終わると、同級生の女の子3人で、近所の墓地で一文字崩しの真似っこ。墓地の周りを形ばかり囲っている生垣の竹を引っこ抜き、刀に見立て、ポーズを決めるのです。

ついでに一場面を再現。誰しも橋蔵さんの役か、相手役の姫君か娘役をやりたいので、おとなしいM子ちゃんがいつも敵役をやらされて。映画の余韻が残るなか、覚えたばかりの台詞を興奮気味に声を張り上げ、見得を切って上得意。女の子3人のチャンバラと芝居ごっこはクラスの腕白坊主にも脅威だったようで、「女三悪人」との渾名までつけられてしまうほど・・・小学生の頃の懐かしい思い出です。

 
一文字崩し誕生秘話

この若さまの一文字崩し。若さまが立ち回りの佳境で型を決めると、敵はみな怖気づいて、タジタジとなってしまうのです。着流しに刀が斜めに決まって、実に美しい。待ってました!と思わず声をかけたくなりますね。

「旗本退屈男」には諸羽流正眼崩し、「怪傑黒頭巾」には二丁拳銃と、決め手があるのに、若さまにないのはさびしいと、殺陣師の足立怜二郎氏が現代剣道の最高峰高野範士に相談をもちかけ、考案していただいた型なのだとか。

足立氏が「映画の殺陣はいかに人を美しく斬るかにあるので、そのあたりのことも考慮していただいて、橋蔵さんにひとつ」と頼まれると、高野範士は「美しいことは大事だが、人を斬る以上、殺気や迫力を加え、リアルさを出さなければいけない。殺陣の動きは手順が決まっているので、ある意味では踊りの所作と同じ」と、やおら傍らの真剣を抜き、すばやい動きで示されたのが一文字崩し。やさ型の橋蔵さんがより美しく、隙のない型をと、編み出されたのが秘剣一文字崩しだったのです。

 
若くて美しいの一言
50年ぶりに再会した橋蔵さん。若くて美しいの一言。

白黒画面にアップで映し出された若さまの目元の清々しさ。きりっとした頬の線。若さが溢れています。着流し姿も美しく、絵姿という言葉そのものです。

他の出演者の皆さんもお若いこと。後年、敵役をしていた徳大寺伸さん、若くてハンサムなのに驚かされます。浦里はるみさんは小粋な役の似合う女優さんでしたね。

おいとちゃんといえば星美智子さん。ちょっとすねたところがかわいらしく、好きでした。その後、おいと役は花園ひろみさんや桜町弘子さんが演じておられますが、私の心の中ではおいとといえば星美智子さん。若さまとおいととのやりとりはほのぼのとした心通うものがあって、見ている方も楽しくなるような名コンビでした。

 
白黒映画時代

当時の映画は白黒で、画面も小さく、上映時間も60分と短いものでした。それでも封切りされるのが待ち遠しく、映画館はいつも満員の盛況ぶりでした。開演前に並ばないと座ることさえできなかったのです。

やがて映画は白黒からカラーに、画面もスコープに変わっていきますが、橋蔵さんも映画スターとして役者の幅を広げていくことになります。この白黒映画時代は、橋蔵さんの新人時代、映画時代初期と位置づけられるものでしょう。

正直言って、当時の橋蔵さんはまだ演技も未熟で、殺陣も橋蔵さん本来の美しい立ち回りにまだ至っていません。橋蔵さん自身が「颯爽と立ち回りをしたつもりなのに、女の子が棒切れを振り回しているようで」と語られているように、美少年のちゃんばらごっこの感がしないでもありません。

しかし、デビュー当時にみせた白黒画面にアップで映し出されたときの、息を呑むような橋蔵さんの美しさは後年には見られないものでしょう。子ども心に胸躍らせた若さま侍は、幼い頃の多くの想い出を蘇らせてくれたのと同時に、若さまが格好よくて、颯爽としていて、楽しめる作品であることは50年経った今でも変わりないように思います。

 

(文責・古狸奈 2011130 初出

若さまやくざ 江戸っ子天狗

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「若様やくざ 江戸っ子天狗」1963921 東映京都作品)
  脚本・野上 龍雄 監督・工藤 栄一
  <配 役>
   影山源之丞  …大川 橋蔵
   檪 又兵衛  …渡辺 文雄
   お さ よ  …入江 若葉
   小   吉  …丘 さとみ
   菊   造  …左  卜全
   桐   八  …堺  駿二
   南   天  …谷村 昌彦
   竹      …世志 凡太
   辰巳屋惣兵衛 …進藤英太郎
   犬飼周防守  …佐藤  慶
   影山 将監  …山形  勲

 

ものがたり
 お役所仕事に嫌気がさして息抜きの度が過ぎた町奉行影山家の若さま源之丞は、父将監の逆鱗に触れ、勘当された挙句、深夜の町に追い出された。
 数日後、町人姿に身を変え、長屋住まいを始めた源さんこと源之丞に金を借りに来る住人たち。ところがその金が酒や博奕に使われたと知った源さんは、菊造には貸さずに追い帰してしまう。
 借金を断られたことが原因で、菊造の娘おしのは女郎屋に売られ、菊造は首を吊ってしんでしまう。・・・

 

人生経験の旅のはじまり
 町奉行影山家の若さま源之丞は無駄骨ばかりのお役所仕事に嫌気がさし、仕事を放りだす放蕩息子。散々遊びほうけた後、帰宅したところを父親将監の逆鱗に触れ、勘当されてしまいます。父親を甘く見ていた報いといったところでしょう。
 それからが世間知らずのぼんぼんの人生経験の旅のはじまり。川に落としたという財布を拾いに、一緒に川に入り、まんまと自分の衣類を盗まれたり・・・貸した金が酒や博奕に使われていたり・・・招待して喜んでもらえるはずが、料亭になじみのない住人にはかえってありがた迷惑だったり・・・いままでのほほんとして気がつかなかったことが次々と出てくるのです。
 そうした世間知らずの若さまを橋蔵さんは手堅く演じています。
 もともと格式のある家柄の者がわけあって身分を隠し、市井に暮らしているような役どころは橋蔵さんにとって、うってつけのもの。今まで何本もそうした役を演じてきています。橋蔵さん本来が持つ気品は汚れ役を演じていても、正直なところ時折出てしまうのは事実。それでも演じる役の出自がよければ当然のことですから、若さまやくざのような役どころは安心して見られるというものです。
 とはいえ、この『江戸っ子天狗』は同じ「若さまやくざ」と銘打っている2年前の『橋蔵の若様やくざ』に比べ、夢物語的な要素は少なく、より現実味を帯びて描かれているように思います。

 

群衆の中での怒りと笑い
 ここで、2つの作品を比べてみることにしましょう。
まず、市中で暮らすきっかけは、前作『若様やくざ』では盗まれた香炉さがし。それに対して、『江戸っ子天狗』では勘当されたのが理由です。普通、若さまが盗品を探しに市中に出てくることは考えられません。それだけに『若様やくざ』は夢物語的な要素が強く、若さまも余裕ある生活ぶりがうかがえます。
次に主人公を取り巻く人々。『若様やくざ』では千秋実さん扮する浪人や恋人役の大川恵子さん、鼠小僧など、限られた人々となっているのに対し、『江戸っ子天狗』では長屋の住人全部。また特定の恋人もいません。橋蔵さんの源さんは常に群衆の中で、笑ったり怒ったりしているのです。
 
喜劇に集団的要素
このように見てみると、2作品が製作された2年の間に、映画表現の移り変わりを感じます。もともと時代劇が主人公対敵役の1対1で戦っていたものが、やがて集団対集団の集団抗争時代劇といわれるようになっていったように、人間模様も個々の思いを描くのではなくて、群衆を描くようになっていったように思います。長屋の住人総出演の演出傾向は『やくざ判官』あたりから見られますが、この作品では顕著にあらわれています。
 群衆に焦点があてられたからか、しっとりとした男女の恋模様には関心がなかったようです。
この『江戸っ子天狗』では珍しく橋蔵さんの主人公をめぐる特定な恋人はいないのです。源之丞を追いかけて、長屋に引越ししてきた丘さとみさんの小吉がそれらしい役回りですが、最後は長屋の隣に住む浪人又兵衛といい仲に。最終的に源之丞はふられてしまうわけで、橋蔵さんの作品にしては珍しい展開です。
ひとりのスターで客が呼べなくなった映画界の現実が群衆での喜劇を描くことで、個々のスターのファンを映画館に引き付けることの方策だったようにも思えます。面白さが先で、情感や余韻は二の次という時代の流れを感じます。

 

平次も手がけた野上龍雄氏
 最後に『江戸っ子天狗』を書かれた脚本家の野上龍雄氏は1928328日東京府生まれ。旧制開成中学、松本高等学校文科を経て、東京大学文学部仏文科卒業。大映脚本家養成所を経て、シナリオ・ライターとなり、映画、テレビの脚本を多数書き上げています。
 映画の脚本では東映において、時代劇、やくざ映画のシナリオを多数手がけられ、テレビでは池波正太郎原作の『鬼平犯科帳』や『剣客商売』、『必殺シリーズ』の脚本を執筆されています。
 組織に利用され、裏切られるやくざの悲劇『現代やくざ 血桜三兄弟』(71)や、孤独に生きる渡世人の悲しみ『木枯らし紋次郎 関わりござんせん』(72)、徳川家の継嗣問題を巡る骨肉の争いを描いた大作『柳生一族の陰謀』(78)など題材は多岐にわたっています。
 心理描写が繊細で、熱い感情の表現が強烈、見る者に緊張感を与える迫力があるとされています。『柳生一族の陰謀』のラストのどんでん返しで、主人公柳生宗矩(萬屋錦之介)が絶叫する「夢でござる」は流行語になりました。
 上記作品のほか、『てなもんや三度笠』(63)、『夜霧よ今夜もありがとう』(67)、『トラック野郎』(7677)、『南極物語』(83)、テレビ『三匹の侍』(6369)など。
 橋蔵さんの作品では『いれずみ半太郎』(63)、『風の武士』、『新吾番外勝負』、『御金蔵破り』(64)などがあり、いずれも男女の情愛と緊張感が交差して、情感あふれる秀作となっています。テレビの『銭形平次』の脚本も開始当初の66年から最後の84年まで関係されました。2013720日死去。享年85

 

 行き場がなく、小吉の家に泊まろうとした源之丞への小吉のアタックぶり。小吉と浪人の濡れ場を長屋の屋根の上から眺める住人たち。強制立ち退きで長屋が取り壊される、粉塵立ち込める中での大立ち回り・・・異色な時代劇といえそうです。
 華のある女優陣と、個性ある出演者が右往左往するなかで、威厳ある山形勲さんの父親と、源さんに借金を頼む菊造の姿が一番印象に残った作品でもありました。

 

(文責・古狸奈 20151220

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